青空文庫で校正者が現われるのを待っている作家たち

2017年11月上旬

作品が入力済み・校正待ちになっている作家の紹介をウィキペディアの最初の段落から取ってくる実験です。校正の申し込みは作業着手連絡システムからです(校正受け付けは著者名のみに対応しており、作品名や翻訳者名では選択できませんのでご注意を)。さて、青空文庫校正待ち作品検索から要素を取ってきて付け加えるか、うまくリンクさせるか…

アーヴィング ワシントン   (校正受付

ワシントン・アーヴィング(Washington Irving, 1783年4月3日 - 1859年11月28日)は、19世紀前半のアメリカ合衆国の作家。 (ウィキペディア)
「リップ・ヴァン・ウィンクル ディードリッヒ・ニッカボッカーの遺稿」

会津 八一   (校正受付

会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。  (ウィキペディア)
「趣味の修養」
「綜合大学の図書」
「綜合大学を迎へて」
「大学とその総長」

饗庭 篁村   (校正受付

饗庭 篁村(あえば こうそん、安政2年8月15日(1855年9月25日)- 1922年6月20日)は、明治時代の小説家で演劇評論家。根岸派の重鎮。本名は饗庭與三郎。別号「竹の屋(舎)(たけのや)主人」とも称す。下谷龍泉寺町生まれにちなんで「龍泉居士」、その縁で「太阿居士」、南傳町2丁目に住んで「南傳二」とも。 (ウィキペディア)
「木曽道中記」

青木 月斗   (校正受付

青木 月斗(あおき げっと、1879年(明治12年)11月20日 - 1949年(昭和24年)3月17日)は、正岡子規門の俳人。本名は青木新護。 (ウィキペディア)
「月斗翁句抄」

青野 季吉   (校正受付

青野 季吉(あおの すえきち、1890年(明治23年)2月24日 - 1961年(昭和36年)6月23日)は日本の文芸評論家。 (ウィキペディア)
「散文精神の問題」
「文学的人生論」

赤川 武助   (校正受付

「僕の戦場日記」

赤羽 巌穴   (校正受付

赤羽 巌穴(あかはね がんけつ、1875年4月5日 - 1912年3月1日)は明治時代の社会主義者。諱は一(はじめ)。 (ウィキペディア)
「獄中よりの書簡」
「露華月光」

暁烏 敏   (校正受付

暁烏 敏(あけがらす はや、1877年〈明治10年〉7月12日 - 1954年〈昭和29年〉8月27日)は、真宗大谷派の僧侶、宗教家である。院号は「香草院」。法名は「釈彰敏」。愛称は「念仏総長」。 (ウィキペディア)
「歎異抄講話」

麻生 義   (校正受付

「クロポトキンの芸術論について」
「正義と道徳」
「「正義と道徳」ロシア版の序」

阿部 次郎   (校正受付

阿部 次郎(あべ じろう、1883年(明治16年)8月27日 - 1959年(昭和34年)10月20日)は、哲学者、美学者、作家。仙台市名誉市民。 (ウィキペディア)
「狐火」
「親友」
「痴人とその二つの影」
「西川の日記」
「北越の夏」

阿部 正己   (校正受付

阿部 正己(あべ まさき、1879年3月23日 - 1946年3月15日)は、日本の歴史家。 (ウィキペディア)
「出羽三山史」

荒木 巍   (校正受付

荒木 巍(あらき たかし、1905年10月6日 - 1950年6月4日)は、日本の作家。 (ウィキペディア)
「光を背負う男」

有島 武郎   (校正受付

有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。 (ウィキペディア)
「フランセスの顔」

安西 冬衛   (校正受付

安西 冬衛(あんざい ふゆえ、1898年(明治31年)3月9日 - 1965年(昭和40年)8月24日)は日本の詩人である。本名は勝(まさる)。奈良県奈良市出身。 (ウィキペディア)
「軍艦茉莉」

アンデルセン ハンス・クリスチャン   (校正受付

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(丁: Hans Christian Andersen、デンマーク語発音: (ハンス・クレステャン・アナスン)、1805年4月2日 - 1875年8月4日)は、デンマークの代表的な童話作家、詩人である。デンマークでは、Andersen が非常にありふれた姓であることから、フルネームを略したH. C. Andersen(デンマーク語読みで "ホー・セー・アナスン" )と呼ばれる。 (ウィキペディア)
「すずの兵隊さん」
「空とぶトランク」
「ナイチンゲール」
「みにくいアヒルの子」

安藤 盛   (校正受付

「三両清兵衛と名馬朝月」

安藤 正次   (校正受付

安藤 正次(あんどう まさつぐ、1878年9月13日 - 1952年11月18日)は、日本の国語学者。元台北帝国大学総長、東洋大学教授、文部省国語審議会会長。 (ウィキペディア)
「「侍」字訓義考」
「多賀禰考」

李 光洙   (校正受付

李 光洙(イ・グァンス、1892年3月5日 - 1950年10月25日)は朝鮮の文学者、思想家である。「朝鮮近代文学の祖」とも言われる。号は「春園」(チュンウォン、춘원)。創氏改名時の日本名は香山光郎(かやま・みつろう)。 (ウィキペディア)
「愛か」
「元旦」
「迎年祈世」
「聲/朝」
「シンガポール落つ」
「徴兵制に寄せて」
「冬至の雨」
「日記より」
「半島青年の決意」
「舞鶴の乙女たち」
「わが泉」

李 箱   (校正受付

李箱(イ・サン、1910年9月14日(陰暦8月20日) - 1937年4月17日)は朝鮮の詩人、小説家。本名は金海卿(キム・ヘギョン)。本貫は江陵金氏。 (ウィキペディア)
「BOITEUX・BOITEUSE」
「LE_URINE」
「あさ」
「異常ナ可逆反応」
「運動」
「街衢ノ寒サ ――一九三三 二月二十七日ノ室内ノコト――」
「悔恨ノ章」
「顔」
「狂女の告白」
「距離 (女去りし場合)」
「空腹――」
「興行物天使 ――或る後日譚として――」
「骨片ニ関スル無題」
「最後」
「囚人の作つた箱庭」
「神経質に肥満した三角形 ▽ハ俺ノ AMOUREUSEデ アル」
「隻脚」
「一九三一年 作品 第一番」
「線に関する覚書5」
「線に関する覚書1」
「線に関する覚書2」
「線に関する覚書3」
「線に関する覚書4」
「線に関する覚書6」
「線に関する覚書7」
「『朝鮮と建築』巻頭言より」
「月原橙一郎」
「内科」
「肉親の章」
「▽ノ遊戯―― △ハ俺ノAMOUREUSEデアル」
「破片ノ景色 △ハ俺ノAMOUREUSEデアル」
「ひげ―― (鬚・鬚・ソノ外ひげデアリ得ルモノラ・皆ノコト)」
「二人‥‥1‥‥」
「二人‥‥2‥‥」
「与田凖一」

李 孝石   (校正受付

李孝石(イ・ヒョソク、1907年2月23日 - 1942年5月25日)は朝鮮の小説家。号は可山。兪鎮午に「小説の形式で詩を吟じた作家」と評され、郷土の美しさを詩のような流れる文筆で描いた。その代表作が『ソバの花咲く頃(메밀 꽃 필 무렵)』である。 (ウィキペディア)
「蕎麦の花の頃」

飯田 平作   (校正受付

「帝室論 01 帝室論緒言」

イエイツ ウィリアム・バトラー   (校正受付

ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats, 1865年6月13日 - 1939年1月28日)は、アイルランドの詩人、劇作家。イギリスの神秘主義秘密結社黄金の夜明け団(The Hermetic Order of the Golden Dawn)のメンバーでもある。ダブリン郊外、サンディマウント出身。作風は幅広く、ロマン主義、神秘主義、モダニズムを吸収し、アイルランドの文芸復興を促した。日本の能の影響を受けた戯曲『鷹の井戸』も執筆している。 (ウィキペディア)
「カスリイン・ニ・フウリハン(一幕)」
「心のゆくところ(一幕)」
「鷹の井戸(一幕)」

生田 葵山   (校正受付

「永井荷風といふ男」

池内 宏   (校正受付

池内 宏(いけうち ひろし 1878年9月28日 - 1952年11月1日)は、東洋史学者。祖父は儒学者の池内大学。 (ウィキペディア)
「新羅人の武士的精神について」
「新羅の花郎について」

池田 亀鑑   (校正受付

池田 亀鑑(いけだ きかん、明治29年〈1896年〉12月9日 - 昭和31年〈1956年〉12月19日)は、日本の国文学者。平安文学専攻。 (ウィキペディア)
「堤中納言物語 01 はしがき・凡例」
「堤中納言物語 02 花桜折る少将」
「堤中納言物語 03 このついで」
「堤中納言物語 04 虫めづる姫君」
「堤中納言物語 05 ほどほどの懸想」
「堤中納言物語 06 逢坂越えぬ権中納言」
「堤中納言物語 07 かひあはせ」
「堤中納言物語 08 思はぬ方にとまりする少将」
「堤中納言物語 09 はなだの女御」
「堤中納言物語 10 はいずみ」
「堤中納言物語 11 よしなしごと」

石川 三四郎   (校正受付

石川 三四郎(いしかわ さんしろう、1876年5月23日 - 1956年11月28日)は、日本の社会運動家・アナーキスト・作家。筆名の「旭山」も使用する。 (ウィキペディア)
「監獄論 監獄の囚人に対する精神的影響」
「行徳町の今昔」
「裁判論」
「即時講和論に対する宣言」
「代議制度」
「法律と強権」
「リオン控訴院に於ける被告無政府主義者等の宣言」

石川 千代松   (校正受付

石川 千代松(いしかわ ちよまつ、1860年1月30日(万延元年1月8日) - 1935年(昭和10年)1月17日)は、日本の動物学者。進化論を日本に紹介したことで知られる。 (ウィキペディア)
「生物の歴史」

石河 幹明   (校正受付

石河 幹明(いしかわ かんめい、安政6年10月17日(1859年11月11日) - 昭和18年(1943年)7月25日)は、日本のジャーナリスト。新聞『時事新報』主筆、慶應義塾評議員。号は碩果生(せきかせい)。福澤諭吉の伝記『福澤諭吉伝』全4巻を執筆し、大正版『福澤全集』全10巻、昭和版『続福澤全集』全7巻を編纂した。 (ウィキペディア)
「「続福沢全集」時事論集例言」
「「続福沢全集」書翰集例言」
「「続福沢全集」諸文集例言」
「「続福沢全集」緒言」
「「続福沢全集」附記」
「「福沢全集」時事論集例言」
「「福沢全集」端書」

石田 英一郎   (校正受付

石田 英一郎(いしだ えいいちろう、1903年6月30日 - 1968年11月9日)は、日本の文化人類学者・民族学者。元男爵。 (ウィキペディア)
「金銭と恥」
「現代の偏見と差別 ――文化人類学の立場から――」
「書評 ジーモン・ウィーゼンタール著『殺人者はそこにいる』(中島博訳)」
「信頼」
「西洋の鍵と日本の杓子 ――継承される主婦権の性格――」
「日本文化論」
「東と西を結ぶもの」
「東と西を結ぶもの ――一人類学者のヒューマニズム観――」

石田 梅巌   (校正受付

石田 梅岩(いしだ ばいがん、貞享2年9月15日(1685年10月12日) - 延享元年9月24日(1744年10月29日))は江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。名は興長。通称、勘平。 (ウィキペディア)
「齊家論」

石原 純   (校正受付

石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。 (ウィキペディア)
「アインシュタイン教授をわが国に迎えて」
「伊能忠敬」
「ガリレオ・ガリレイ」
「キュリー夫人」
「グレゴール・メンデル」
「左千夫先生への追憶」
「ジェームズ・ワット」
「関孝和」
「チャールズ・ダーウィン」
「トーマス・エディソン」
「ニュートン」
「平賀源内」
「ヘルムホルツ」
「マイケル・ファラデイ」
「メンデレーエフ」
「ラヴォアジエ」
「ルイ・パストゥール」
「ロード・ラザフォード」
「ロバート・ボイル」

泉 鏡花   (校正受付

泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日)は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説の他に戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎(きょうたろう)。金沢市下新町生れ。 (ウィキペディア)
「浅茅生」
「霰ふる」
「一之巻」
「糸遊」
「印度更紗」
「歌仙彫」
「片しぐれ」
「勝手口」
「貴婦人」
「五之巻」
「山海評判記」
「三人の盲の話」
「三之巻」
「四之巻」
「芍薬の歌」
「続風流線」
「誓之巻」
「月夜」
「二之巻」
「日本橋(戯曲)」
「貧民倶楽部」
「風流線」
「紅提灯」
「由縁の女」
「妖剣紀聞」
「六之巻」
「わか紫」

泉 鏡太郎   (校正受付

泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日)は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説の他に戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎(きょうたろう)。金沢市下新町生れ。 (ウィキペディア)
「玉造日記」
「道中一枚絵 その一」
「道中一枚絵 その二」
「日記の端」
「左の窓」
「真夏の梅」
「吉浦蜆」

市島 春城   (校正受付

市島 謙吉(いちしま けんきち、安政7年2月17日(1860年3月9日) - 昭和19年(1944年)4月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、早稲田大学初代図書館長。 (ウィキペディア)
「出版の今昔」

伊藤 吉之助   (校正受付

伊藤 吉之助(いとう きちのすけ、1885年(明治18年)1月4日 - 1961年(昭和36年)7月7日)は、日本の哲学者。 (ウィキペディア)
「現代独逸哲学の動向」

伊藤 欽亮   (校正受付

伊藤 欽亮(いとう きんすけ(きんりょう)、安政4年8月4日(1857年9月21日) - 昭和3年(1928年)4月28日)は実業家。新聞『時事新報』編集長、新聞『日本』社長。交詢社理事、慶應義塾評議員。 (ウィキペディア)
「私擬憲法案註解」

伊藤 左千夫   (校正受付

伊藤 左千夫(いとう さちお、1864年9月18日(元治元年8月18日) - 1913年(大正2年)7月30日)は日本の歌人、小説家。本名 幸次郎。 (ウィキペディア)
「浅草詣」
「歌の潤い」
「子規と和歌」
「白菊」
「師を失いたる吾々」
「新万葉物語」
「絶対的人格 正岡先生論」
「滝見の旅」
「竹乃里人」
「野菊の墓」
「分家 01 (前篇)」
「分家 02 (後篇)」
「正岡子規君」
「水籠」
「廃める」
「八幡の森」

伊藤 野枝   (校正受付

伊藤 野枝(いとう のえ、1895年1月21日 - 1923年9月16日)は、日本の婦人解放運動家、無政府主義者、作家。戸籍名では、伊藤ノヱ。 (ウィキペディア)
「新らしき婦人の男性観」
「或る男の堕落」
「石橋臥波氏に答へて再考を促がす」
「従妹に」
「岩野清子氏の『双棲と寡居』について」
「ウォーレン夫人とその娘」
「S先生に」
「女絵師毒絵具を仰ぐ (三面記事評論)」
「感想の断片」
「寄贈書籍」
「九州より ――生田花世氏に」
「教育圏外から観た現時の小学校」
「偶感二三」
「具体的問題の具体的解決」
「喧嘩両成敗」
「傲慢狭量にして不徹底なる日本婦人の公共事業に就て」
「此の頃の感想」
「この頃の感想」
「この頃の妾」
「最近の感想」
「最近の感想二つ」
「雑音 「青鞜」の周囲の人々 「新らしき女」の内部生活」
「雑感」
「雑感」
「サニンの態度」
「自覚の第一歩」
「下田歌子女史へ」
「下田次郎氏に ――日本婦人の革新時代に就いて」
「自由意志による結婚の破滅」
「出奔」
「消息」
「女教員の縊死 (三面記事評論)」
「序に代へて」
「新刊紹介」
「新刊紹介」
「『青鞜』を引き継ぐに就いて」
「染井より」
「断章」
「男性に対する主張と要求」
「貞操に就いての雑感」
「転機」
「動揺」
「「動揺」に就いて」
「読者諸氏に」
「中村弧月様へ」
「西川文子氏の『婦人解放論』を読む」
「日本婦人の観たる日本婦人の選挙運動(アンケート回答)」
「人間と云ふ意識」
「白山下より」
「芭蕉の臨終(沼波瓊音氏著)」
「評論家としての与謝野晶子氏」
「平塚明子論」
「夫婦喧嘩の功過と責任の所在(アンケート回答)」
「福岡の女」
「『婦人解放の悲劇』に就て」
「婦人の反省を望む」
「再び青山氏へ」
「再び松本悟郎氏に」
「二人の子供の対話」
「松本悟郎氏に答ふ」
「矛盾恋愛論」
「申訳丈けに」
「嫁泥棒譚」
「代々木へ」
「読んだものから」
「読んだものの評と最近雑想」
「らいてう氏に」
「らいてう氏の『処女の真価値』を読みて」
「わがまま」
「私が現在の立場」

稲垣 巌   (校正受付

稲垣 巌(いながき いわお、1897年(明治30年)2月15日 - 1937年(昭和12年)8月15日)は日本の教育者。元京都府立桃山中学校の英語科教員。 (ウィキペディア)
「父八雲を語る」

犬養 健   (校正受付

犬養 健(いぬかい たける、1896年(明治29年)7月28日 - 1960年(昭和35年)8月28日)は、日本の政治家、小説家。正三位勲一等。首相在任中に暗殺された犬養毅の三男にあたる。法務大臣(第2代・第3代)。 (ウィキペディア)
「朧夜」
「愚かな父」
「読書問答」
「南京六月祭」

井上 円了   (校正受付

井上 円了(いのうえ えんりょう 井上圓了、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1919年(大正8年)6月6日)は、仏教哲学者、教育者。 (ウィキペディア)
「改良新案の夢」
「真怪」
「通俗絵入 続妖怪百談」
「通俗絵入 妖怪百談」
「哲学うらなひ」
「天狗論」
「妖怪学講義録」

井上 哲次郎   (校正受付

井上 哲次郎(いのうえ てつじろう、1856年2月1日(安政2年12月25日) - 1944年(昭和19年)12月7日)は明治時代の日本の哲学者であり、欧米哲学を多く日本に紹介し、帝国大学で日本人で初めて、哲学の教授となった。また、新体詩運動の先駆者でもある。号は巽軒。通称「井の哲(イノテツ)」。筑前国生まれ。大東文化学院総長(第2代)などを歴任した。 (ウィキペディア)
「「西周哲学著作集」序」
「ラフアエル、フオン、ケーベル氏を追懐す」
「我世界観の一塵」

井上 良夫   (校正受付

「探偵小説の本格的興味」

伊波 普猷   (校正受付

伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、沖縄県那覇市出身の民俗学者、言語学者、沖縄学の父として知られる。 (ウィキペディア)
「沖縄篇」
「序にかへて 琉球篇について」

伊庭 心猿   (校正受付

「縁日考」
「荷風翁の発句」
「九月朔日」
「桜もち」
「風塵抄」
「やかなぐさ 伊庭心猿句鈔」
「也哉草 心猿句抄」
「来訪者のモデル」
「露伴忌」

今井 半次郎   (校正受付

「山と河」

今村 明恒   (校正受付

今村 明恒(いまむら あきつね、1870年6月14日(明治3年5月16日) - 1948年1月1日)は日本の地震学者。 (ウィキペディア)
「地震学の角度から見た城輪柵趾」
「地震の国」
「大地震調査日記」
「大地震調査日記(続)」

上河 正揚   (校正受付

「石田先生事蹟」

上里 春生   (校正受付

「或る月夜に」
「傾ける殿堂」
「サガニー耕地より」

上田 万年   (校正受付

上田 萬年(うえだ かずとし、1867年2月11日(慶応3年1月7日) - 1937年(昭和12年)10月26日)は、日本の国語学者、言語学者。東京帝国大学国語研究室の初代主任教授、東京帝国大学文科大学長や文学部長を務めた。小説家円地文子の父。教え子に新村出、橋本進吉、金田一京助、亀田次郎らがいる。また、文部省専門学務局長や、1908年に設置された臨時仮名遣調査委員会の委員等を務めた。1908年帝国学士院会員。 (ウィキペディア)
「芳賀君を悼みて」

植田 清次   (校正受付

植田 清次(うえだ せいじ、1902年7月18日 - 1963年10月30日)は、日本の哲学研究者。 兵庫県出身。早稲田大学卒。早大助教授、1946年、教授。1963年、「プラグマティズムの基礎的研究」で文学博士。授与は死去の日付。英米哲学。 (ウィキペディア)
「現代英米の哲学思潮」

上村 福幸   (校正受付

「了解心理学」

内田 魯庵   (校正受付

内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年5月26日(慶応4年閏4月5日) - 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。江戸下谷車坂六軒町(現東京都台東区)生まれ。洋画家内田巌は長男。孫(巌の娘)に翻訳家の内田莉莎子。 (ウィキペディア)
「銀座繁昌記」
「破垣」

内村 鑑三   (校正受付

内村 鑑三(うちむら かんぞう、万延2年2月13日(1861年3月23日)- 昭和5年(1930年)3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。 (ウィキペディア)
「基督信徒のなぐさめ」

宇野 円空   (校正受付

宇野 円空(宇野圓空、うの えんくう、1885年11月27日 - 1949年1月1日)は、日本の宗教学者・民族学者。 (ウィキペディア)
「上代人の民族信仰」

宇野 浩二   (校正受付

宇野 浩二(うの こうじ、1891年(明治24年)7月26日 - 1961年(昭和36年)9月21日)は、日本の小説家・作家。本名は、宇野格次郎。 (ウィキペディア)
「枯木のある風景」
「さ迷へる蝋燭」
「清二郎 夢見る子」
「でたらめ経」
「人癲癇」
「蕗の下の神様」
「屋根裏の法学士」
「夢見る部屋」

梅原 真隆   (校正受付

梅原 真(眞)隆(うめはら しんりゅう、1885年〈明治18年〉11月11日 - 1966年〈昭和41年〉7月7日)は、日本の仏教学者。富山県滑川市寺家町の浄土真宗本願寺派梅原山専長寺27代・29代住職。龍谷大学教授、京都市議会議員、本願寺派執行、本願寺派勧学寮頭(5期)、顕真学苑主幹、参議院議員(1期)、富山大学第3代学長。 (ウィキペディア)
「評論の道徳性」

海野 十三   (校正受付

海野 十三(うんの じゅうざまたはうんの じゅうぞう、1897年(明治30年)12月26日 - 1949年(昭和24年)5月17日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、漫画家、科学解説家。日本SFの始祖の一人と呼ばれる。本名は佐野 昌一(さの しょういち)。 (ウィキペディア)
「江戸推理川柳抄」
「探偵会話 下駄を探せ ――芝公園 女の殺人事件――」
「探偵小説と犯罪事件」
「謎の透明世界 ――四次元漂流――」

江戸川 乱歩   (校正受付

江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、男性、1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。 (ウィキペディア)
「江川蘭子」
「黄金仮面」
「黄金の虎」
「おれは二十面相だ」
「影男」
「畸形の天女」
「兇器」
「蜘蛛男」
「化人幻戯」
「断崖」
「探偵少年」
「月と手袋」
「天空の魔人」
「何者」
「人間豹」
「白髪鬼」
「火縄銃」
「ぺてん師と空気男」
「防空壕」
「堀越捜査一課長殿」
「虫」
「目羅博士の不思議な犯罪」
「盲獣」
「闇に蠢く」
「妖星人R」

潁原 退蔵   (校正受付

潁原 退蔵(えばら たいぞう、1894年2月1日 - 1948年8月30日)は、日本の国文学者。元京都大学教授。文学博士。専門は近世文学。 (ウィキペディア)
「01 例言」
「02 蕪村俳句集」
「03 附録 寛保四年蕪村歳旦帖」
「04 蕪村の句集について」

江見 水蔭   (校正受付

江見 水蔭(えみ すいいん、明治2年8月12日(1869年9月17日) - 昭和9年(1934年)11月3日)は、小説家、翻案作家、雑誌発行者、紀行家、冒険家。本名忠功(ただかつ)。岡山県岡山市生れ。 (ウィキペディア)
「三千年前」
「探検実記 地中の秘密 01 蛮勇の力」
「探検実記 地中の秘密 02 権現台の懐古」
「探検実記 地中の秘密 03 嶺の千鳥窪」
「探検実記 地中の秘密 04 馬籠と根方」
「探検実記 地中の秘密 05 深大寺の打石斧」
「探検実記 地中の秘密 06 疑問の加瀬貝塚」
「探検実記 地中の秘密 20 大森貝塚の発掘」

エンゲルス フリードリッヒ   (校正受付

フリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels、1820年11月28日 - 1895年8月5日)は、ドイツの社会思想家、政治思想家、ジャーナリスト、実業家、共産主義者、軍事評論家、革命家、国際的な労働運動の指導者。 (ウィキペディア)
「共産党宣言」

大泉 黒石   (校正受付

大泉 黒石(おおいずみ こくせき、1893年(明治26年)10月21日/1894年(明治27年)7月27日 - 1957年(昭和32年)10月26日)は日本の作家、ロシア文学者。自称「国際的の居候」。アナキスト的思想を盛り込んだ小説『老子』『人間廃業』などのベストセラーがある。 (ウィキペディア)
「血と霊」

大川 周明   (校正受付

大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年(明治19年)12月6日 - 1957年(昭和32年)12月24日)は、日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。 (ウィキペディア)
「清河八郎」

大倉 喜八郎   (校正受付

大倉 喜八郎(おおくら きはちろう、天保8年9月24日(1837年10月23日) - 昭和3年(1928年)4月22日)は、明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した日本の実業家、中堅財閥である大倉財閥の設立者。渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立。東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者でもある。従三位男爵。号は鶴彦。 (ウィキペディア)
「鹿鳴館時代の回顧 明治大正の文化」

大島 庸夫   (校正受付

「マラテスタを想う」

大杉 栄   (校正受付

大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。 (ウィキペディア)
「新しい女」
「石川、山口両君の入獄」
「お別れ」
「死灰の中から」
「何が新しいんだい」
「四つの道徳」

大田 洋子   (校正受付

大田 洋子(おおた ようこ、1906年11月18日 - 1963年12月10日)は、日本の小説家。本名、大田初子。 (ウィキペディア)
「冬」

大坪 砂男   (校正受付

大坪 砂男(おおつぼ すなお、1904年2月1日 - 1965年1月12日)は、日本の探偵小説作家。本名和田六郎。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来する。1951年に大坪 沙男と改名した。 (ウィキペディア)
「三月十三日午前二時」
「推理小説の原理」
「地下潜行者の心理」

大西 祝   (校正受付

大西 祝(おおにし はじめ、元治元年9月7日(1864年10月7日) - 明治33年(1900年)11月2日)は、日本の哲学者。操山と号す。「日本哲学の父」「日本のカント」との評価も受ける。 (ウィキペディア)
「希臘道徳移于基督教道徳之顛末」
「古代希臘の道徳と基督教の道徳」
「ストアの精神と武士の気風とを比較して我が国民の気質に論じ及ぶ」

大町 桂月   (校正受付

大町 桂月(おおまち けいげつ、1869年3月6日(明治2年1月24日)- 1925年(大正14年)6月10日)は高知県出身で、近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家。本名:大町芳衛(よしえ)。 (ウィキペディア)
「赤坂御苑拝観記」
「あだ形見」
「雨奇録」
「大森の春夜」
「屋上の一夜」
「柏木の閑居」
「月譜」
「花譜」
「感謝の記」
「九十の春光」
「小犬」
「皇城拝観」
「洪水を看る」
「香雪菴の記」
「交番物語」
「国家の盛衰」
「碁の一日」
「佐保姫」
「死」
「七福神詣」
「秋郊」
「酒税」
「初夏の野」
「書斎に於ける我」
「序文」
「須磨の一夜」
「西郊の初夏」
「大忘菴の記」
「たも網日記」
「庭園雑観」
「田園雑興」
「動物合戦」
「夏の庭」
「鼠日記」
「練馬の一夜」
「花の小金井」
「春の庭」
「日の出」
「日野の鮎猟」
「病院」
「目白台」
「夜行記」
「野哭の記」
「山岡翁」
「山の犠牲碑」
「行く春の染井」
「夢」
「餘香山房の記」
「四時の変遷」
「余の見たる酒豪」
「夜の電車」
「夜の村店」

大森 房吉   (校正受付

大森 房吉(おおもり ふさきち、1868年10月30日(明治元年9月15日) - 1923年11月8日)は日本の地震学者。 (ウィキペディア)
「桜島の噴火」

丘 浅次郎   (校正受付

丘 浅次郎(おか あさじろう、明治元年11月18日(1868年12月31日) - 昭和19年(1944年)5月2日)は、日本の動物学者。 (ウィキペディア)
「所謂偉人」
「所謂自然の美と自然の愛」
「教育と博物学」
「境界なき差別」
「芸術としての哲学」
「固形の論理」
「猿の群れから共和国まで」
「自然の復讐」
「種族の死」
「進化論講話」
「生存競争と相互扶助」
「落第と退校」
「理科教育の根底」

岡倉 天心   (校正受付

岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。 (ウィキペディア)
「東邦の理想」

岡田 三郎   (校正受付

岡田 三郎(おかだ さぶろう、1890年2月4日 - 1954年4月12日)は北海道出身の日本の小説家。 (ウィキペディア)
「株と女と」
「鴉が縊り殺された日」

岡本 一平   (校正受付

岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年(明治19年)6月11日 - 1948年(昭和23年)10月11日)は、日本の漫画家、作詞家。妻は小説家の岡本かの子。画家・岡本太郎の父親である。 (ウィキペディア)
「一平漫画講座」

岡本 かの子   (校正受付

岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。 (ウィキペディア)
「愛」
「秋の夜がたり」
「汗」
「阿難と呪術師の娘」
「「阿難と呪術師の娘」の解説」
「ある時代の青年作家」
「或る日の幻想 ——(一幕四場)——」
「ある日の蓮月尼」
「上田秋成の晩年」
「動かぬ女」
「岡本かの子女史と語る ——女人信仰曼荼羅——」
「雛妓」
「オペラの帰途」
「オペラの辻」
「各時代の女性に現れたる仏教」
「掛けがえない一品 写経」
「過去世」
「かの女の朝」
「かやの生立」
「川」
「河明り」
「寒山拾得」
「観音教とその背景思想」
「帰去来」
「鬼子母の愛」
「狂童女の恋」
「金魚撩乱」
「近代精神界の現象 ——人間心理の幅と深さ、辻褄の合わぬ因果関係——」
「愚人とその妻」
「蝙蝠」
「午後五時の恋人」
「小町の芍薬」
「五味粥」
「渾沌未分」
「さくらんぼ」
「悟又迷」
「散華抄」
「しなやかな思惟」
「釈迦の片影」
「生々流転」
「食魔」
「食魔に贈る」
「新興仏教 ——信仰の女性——」
「新興仏教の意義」
「新神秘主義」
「親鸞の教こそ心の糧」
「象牙の牀」
「黄昏前夜 ——一幕——」
「旅宿より夫へ」
「智慧に埋れて」
「蔦の門」
「鶴は病みき」
「敵 一幕」
「トシオの見たもの」
「とわのよろこび」
「夏の夜の夢」
「肉体の神曲」
「日本文学に於ける仏教の影響」
「売春婦リゼット」
「萩子とアンナ ——ストーブ雑話——」
「白隠の画禅に就て」
「橋」
「花子」
「花は勁し」
「巴里祭」
「巴里の秋」
「巴里の唄うたい」
「巴里のキャフェ ——朝と昼——」
「美少年」
「ひばりの子」
「夫人と画家 一幕」
「仏教と芸術」
「仏教の影響した日本文学上の三趣味」
「仏教の新研究」
「仏教の新研究」
「仏教のデッサン」
「仏教文学提唱とその困難な諸点」
「フランス南海岸」
「伯林の落葉」
「法然上人への思慕」
「法華経に就いて」
「母子叙情」
「本当の仏教とは」
「街の尼僧の話」
「丸の内草話」
「マロニエの花」
「未完成の世界より」
「ミス・マシュウの新職業」
「みちのく」
「無常」
「紫式部の美的情緒と浄土教」
「餅」
「門番」
「やがて五月に」
「雪」
「好い手紙」
「落城後の女」
「鯉魚」
「老妓抄」
「老主の一時期」

岡本 綺堂   (校正受付

岡本綺堂(おかもと きどう、1872年11月15日(明治5年10月15日) - 1939年(昭和14年)3月1日) は、小説家、劇作家。本名は岡本 敬二(おかもと けいじ)。別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など。著名な作品は、新歌舞伎の作者及び「半七捕物帳」などがある。 (ウィキペディア)
「赤い杭」
「雨夜の怪談」
「尾上伊太八」
「怪談一夜草紙」
「河鹿」
「歌舞伎概説」
「小夜の中山夜啼石」
「深川の老漁夫」
「梟娘の話」

岡本 癖三酔   (校正受付

岡本 癖三酔(おかもと へきさんすい、明治11年(1878年)9月16日生 - 昭和17年(1942年)1月10日)は、戦前日本の俳人、画家。有季自由律を代表する俳人で、俳画の先覚者としても非常に評価が高い。本名は廉太郎、別号に笛声、碧山水など。 (ウィキペディア)
「癖三酔句集」

小川 正子   (校正受付

小川 正子(おがわ まさこ、1902年3月26日 - 1943年4月29日)は日本の医師。手記『小島の春』で知られる。 (ウィキペディア)
「小島の春 04 小島の春 ハンセン病治療に、生涯を捧げたある女医の手記」

小川 未明   (校正受付

小川 未明(おがわ みめい、1882年(明治15年)4月7日 - 1961年(昭和36年)5月11日)は、小説家・児童文学作家。本名は小川 健作(おがわ けんさく)。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれ、浜田広介と坪田譲治と並んで「児童文学界の三種の神器」と評された。娘の岡上鈴江も児童文学者。 (ウィキペディア)
「愛は花よりも香ばし」
「青いランプ」
「青空の下の少女」
「赤いえり巻き」
「紅いチューリップ」
「赤い ちょうちんの はなし」
「秋のお約束」
「朝と町の少年」
「頭を下げなかった少年」
「頭をはなれた帽子」
「新しい友だち」
「新しい町」
「あや子さんの え」
「ありと 少年」
「歩いてゆけるぞ」
「ある冬の晩のこと」
「いさましい かがし」
「五つに なった 政ちゃん」
「犬車がゆく」
「いねむり とこや」
「岩と起重機の上で」
「いんことしじゅうから」
「うまれたばかりの ちょうちょう」
「海の踊り」
「海の おひめさまの くびかざり」
「うみぼうずと おひめさま」
「英ちゃんの話」
「餌のない針」
「遠方の母」
「おうまの ゆめ」
「大きなおうと」
「お母さんのかんざし」
「お母さんのさいふ」
「幼き日」
「おじさんの うち」
「お獅子」
「お月さまと 虫たち」
「おとうさんが かえったら」
「おとうさんの おまね」
「お父さんの見た人形」
「おばあさんとツェッペリン」
「おほしさま」
「おやうしと 子うし」
「温泉へ出かけたすずめ」
「かくれんぼ」
「風」
「風だけが叫ぶ」
「風に吹かれる花」
「風の 子と おひなさま」
「学校へゆく勇ちゃん」
「かにと 子すずめ」
「鐘と旅僧」
「かねも 戦地へ いきました」
「かまきりとジョン」
「かめの子と人形」
「からすねこと ペルシャねこ」
「からすの歌」
「からすの唄うたい」
「ガラス窓の河骨」
「河水の話」
「汽車奇談」
「汽車の中で見たお話」
「北の少女」
「北の春」
「きつねの おばさん」
「きなこの ついた おかお」
「きょうだいの のねずみ」
「兄弟のやまばと」
「金が出ずに、なしの産まれた話」
「きんぎょと お月さま」
「金のおのと人形」
「銀のペンセル」
「草原の夢」
「頸飾り」
「くびわの ない いぬ」
「くもとかきの葉」
「くらげの おばさん」
「くろい めがねの おじさん」
「けんかを わすれた はなし」
「子うさぎと ははうさぎ」
「こうした事実があったら」
「こうしてお友だちとなりました」
「こうちょう先生は やさしい」
「五月の 川の 中」
「子供が寝てから」
「子どもと いぬと さかな」
「子供と馬の話」
「子供と虫」
「子供は虐待に黙従す」
「子ねこを もらった はなし」
「小人の おんがえし」
「小ぶたの たび」
「こまった かおの むしゃにんぎょう」
「こまどりと酒」
「ごみだらけの豆」
「サーカスの少年」
「酒屋のワン公」
「さびしいおじいさんたち」
「さまざまな生い立ち」
「寒い日のこと」
「寒くなる前の話」
「三びきの いぬ」
「しいの実」
「自然が人を恵む話」
「日月ボール」
「児童文学の動向」
「死と自由」
「死と話した人」
「自由」
「少女がこなかったら」
「正ちゃんの鉄棒」
「少年とお母さん」
「少年とねこの子」
「しらない 町の 子」
「白いくま」
「白い くも」
「白い くもと おにんぎょう」
「四郎ちゃんと おまんじゅう」
「真に愛するなら」
「すいせんと太陽」
「すずめとひわの話」
「すみれとうぐいすの話」
「すもう」
「せみと正ちゃん」
「千羽鶴」
「その日から正直になった話」
「空の戦士」
「空へのびるつる」
「大根とダイヤモンドの話」
「太陽の下で」
「高い木と子供の話」
「たけうま」
「武ちゃんと かに」
「武ちゃんとめじろ」
「武ちゃんのかばん」
「武ちゃんの二日間」
「助け合った鳥たち」
「店ざらしのダンサー」
「たのしい ちょうたち」
「小さい兄弟」
「小さな おかあさん」
「小さな兄弟」
「小さな金色の翼」
「ちがった おとうさん」
「茶屋の黒犬」
「ちょうちょうと ばら」
「ちんどんやの おじいさん」
「ちんどんやの おばさん」
「月の中へ消えたこい」
「翼の破れたからす」
「つばめと紅すずめ」
「釣り銭で人のわかった話」
「つるぎさんの はなし」
「天下だこ」
「でんしゃの まどから」
「銅像と老人」
「とうとい おかあさん」
「童話の核心」
「童話を作って五十年」
「とおくから きた ねえやさん」
「時計とよっちゃん」
「年ちゃんと かぶとむし」
「年とったかめの話」
「どちらが きれいか」
「どちらが幸福か」
「トム吉と宝石」
「どらねこと からす」
「ながぐつの びんど」
「なかない きりぎりす」
「なかの よい ともだち」
「なぜに童話は今日の芸術なるか」
「夏の 日ざかり」
「なつめの 木で あった はなし」
「夏やすみ」
「なまずとあざみの話」
「なんでも はいります」
「南島の女」
「南方物語」
「にいさんと あお」
「二番めの娘」
「にらめっこ しましょう」
「人間と湯沸かし」
「ねずみと ねこと こおろぎ」
「ねずみとバケツの話」
「ねずみの おんがえし」
「のこぎりの目たて」
「ハーモニカを ふくと」
「馬車と子供たち」
「はちと子供」
「はちとばらの花」
「初夏の空で笑う女」
「花と少女」
「花と人間」
「花と人間の話」
「花火の 音」
「はまぐりとひきがえる」
「原っぱの 春」
「春風と王さま」
「春は おかあさんです」
「パンと ははいぬ」
「般若の面」
「ひすいを愛された妃」
「ヒョウ、ヒョウ、てりうそ」
「びんの中の世界」
「笛と人の物語」
「ふくろうのいる木」
「ふくろうを さがしに」
「不幸な親と娘」
「ふしぎな てじな」
「ふしぎな バイオリン」
「二人の少年」
「古い桜の木」
「古い塔の上へ」
「古巣に帰るまで」
「平原の木と鳥」
「べいごまと支那の子供」
「へびになった人の話」
「ボートを造る日」
「北海の波にさらわれた蛾」
「まあちゃんと ちいこちゃん」
「まあちゃんと とんぼ」
「まいばん いぬが なく」
「前のおばさん」
「負けじ魂の吉松」
「真心のとどいた話」
「町に憧れた山の娘」
「町のおうむ」
「街の幸福」
「町の真理」
「窓の下を通った男」
「まどの ない ビルデング」
「まほうの むち」
「みい子ちゃん」
「みかん きんかん」
「三つのお人形」
「三つのかぎ」
「虫と 花」
「娘と大きな鐘」
「村の ふみきり」
「目の開けるころ」
「もう じき 春が きます」
「桃の花」
「森の あちら」
「森の かくれんぼう」
「もんを のりこえた 武ちゃん」
「やねへ あがった はね」
「山の はなし」
「夕ぐれ」
「勇ちゃんと 正ちゃんの さんぽ」
「勇ちゃんは いい 子です」
「雪が ふりました」
「雪くる前の高原の話」
「雪だるまと おほしさま」
「雪と 二わの からす」
「雪とみかん」
「雪の ふった ばんの はなし」
「ゆめの おしろ」
「よいどれの時計」
「幼児童話について」
「よその おかあさん」
「労働祭の話」

小倉 金之助   (校正受付

小倉 金之助(おぐら きんのすけ、1885年(明治18年)3月14日 - 1962年(昭和37年)10月21日)は、日本の数学者、数学史家、随筆家である。山形県酒田市生まれ。 (ウィキペディア)
「自然科学者の反省」
「私の信条」

小倉 進平   (校正受付

小倉 進平(おぐら しんぺい、1882年6月4日 - 1944年2月8日)は、日本の言語学者。朝鮮語研究、日本語研究。日本語研究にも多くの業績があるが、特に朝鮮語研究においてその後の研究の礎を築いた。 (ウィキペディア)
「日本紀に於ける外来語研究」

小倉 右一郎   (校正受付

「裸体美に就て」

小栗 風葉   (校正受付

小栗 風葉(おぐり ふうよう、本名:加藤 磯夫(旧姓:小栗)、1875年(明治8年)2月3日 - 1926年(大正15年)1月15日)は日本の小説家。愛知県生まれ。 (ウィキペディア)
「姉の妹」

小栗 虫太郎   (校正受付

小栗 虫太郎(おぐり むしたろう、1901年(明治34年)3月14日 - 1946年(昭和21年)2月10日)は、日本の小説家、推理作家、秘境冒険作家。東京都千代田区外神田出身。本名は小栗 栄次郎(おぐり えいじろう)。漢語カタカナルビと西洋の知識に彩られた、極度のペダントリー(衒学趣味)的作風で著名。代表作は、デビュー作『完全犯罪』、推理小説の三大奇書の一つといわれる『黒死館殺人事件』、秘境探検小説の連作『人外魔境』など。 (ウィキペディア)
「人外魔境  09 第五類人猿」
「人外魔境 12 伽羅絶境」

尾崎 三良   (校正受付

尾崎 三良(おざき さぶろう、天保13年1月22日(1842年3月3日)- 大正7年(1918年)10月13日)は、日本の官僚。男爵。諱は盛茂、別名・戸田 雅楽(とだ うた)。京都郊外の西院村で代々里長を務める家に生まれる。「憲政の神様」と呼ばれた明治・大正・昭和にわたって活動した政治家・尾崎行雄は女婿にあたる。 (ウィキペディア)
「岩倉全権大使欧米巡遊について」

尾崎 士郎   (校正受付

尾崎 士郎(おざき しろう、1898年(明治31年)2月5日 - 1964年(昭和39年)2月19日)は、日本の小説家。 (ウィキペディア)
「風蕭々」
「風蕭々」
「学校騒動」
「学校騒動」
「早稲田大学」
「早稲田大学」
「早稲田大学について」
「早稲田大学について」
「「早稲田大学」凡例」
「「早稲田大学」凡例」

長田 新   (校正受付

長田 新(おさだ あらた、1887年2月1日 - 1961年4月18日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。専門は教育思想史。 (ウィキペディア)
「「原爆の子」序」

尾佐竹 猛   (校正受付

尾佐竹 猛(おさたけ たけき、1880年1月20日 - 1946年10月1日)は、日本の法学者(専門は法制史)、明治文化研究者。学位は法学博士。大審院判事。号は雨花子。 (ウィキペディア)
「幕末遣外使節物語 夷狄の国へ」

押川 春浪   (校正受付

押川 春浪(おしかわ しゅんろう、1876年(明治9年)3月21日 - 1914年(大正3年)11月16日)は日本の冒険小説作家、SF作家。愛媛県出身、本名は方存(まさあり)。冒険小説のジャンルを定着させ、雑誌『冒険世界』『武侠世界』で主筆を務めて多くの後進の作家、画家育成に尽力した。 (ウィキペディア)
「絶島通信」
「東洋武侠団」

尾高 朝雄   (校正受付

尾高 朝雄(おたか ともお、1899年1月28日 - 1956年5月15日)は、日本の法学者。専門は法哲学。日本統治下にあった朝鮮の釜山府生まれ。日本学士院会員。第3期日本学術会議副会長。 (ウィキペディア)
「改訂法哲学概論」

乙骨 三郎   (校正受付

乙骨 三郎(おっこつ さぶろう、1881年(明治14年)5月17日 - 1934年9月19日)は、日本の作詞家、音楽教育者。東京都出身。 (ウィキペディア)
「総説 西洋音楽史の時代」

小野 梓   (校正受付

小野 梓(おの あずさ、1852年3月10日(嘉永5年2月20日) - 1886年(明治19年)1月11日)は、日本の法学者。明治の政治運動家。専門は英米法。土佐国宿毛(高知県宿毛市)出身。男性。親友であった大隈重信を助け、東京専門学校(現在の早稲田大学)の創立の事実上の中心者となり早稲田大学建学の母とも言われている。ジェレミー・ベンサムの思想を分析した。 (ウィキペディア)
「祝東京専門学校之開校」

折口 信夫   (校正受付

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 (ウィキペディア)
「芸能民習」
「言語情調論」
「古代演劇論」
「伝承文芸論」
「日本芸能史序説」
「日本芸能史六講」
「日本の芸道」
「日本文学における一つの象徴」
「日本文学の発生 序説」
「舞ひと踊りと」
「巫女と遊女と」
「和歌の発生と諸芸術との関係」

海藤 抱壺   (校正受付

「三羽の鶴」

賀川 豊彦   (校正受付

CCTUカトリック労働者キリスト教社会主義者UO · 社会派カトリック正義と平和協議会 (ウィキペディア)
「死線を越えて 01 死線を越えて」

葛西 善蔵   (校正受付

葛西 善蔵(かさい ぜんぞう、1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日)は、日本の小説家である。青森県中津軽郡弘前松森町(現・弘前市)で当時米の仲買業をしていた父・卯一郎、母・ひさの長男として生まれた。姉二人(長女・いそ、次女・ちよ)と祖母・かよがいた。 (ウィキペディア)
「姉を訪ねて」
「雪をんな」
「雪をんな(二)」

笠置 一郎   (校正受付

「後漢書 皇后記」
「後漢書 光武伝」

柏熊 達生   (校正受付

柏熊 達生(かしわぐま たつお、1907年11月13日 - 1956年5月27日)は、イタリア文学者、元東京外国語大学教授。 (ウィキペディア)
「ピノッキオ」

柏原 孝章   (校正受付

柏原 孝章(かしわばら たかあき、天保6年4月9日(1835年5月6日) - 明治43年(1910年)11月5日)は、江戸時代後期から明治期の蘭方医、啓蒙家、洋学者。江戸幕府15代将軍徳川慶喜の侍医。もともとは学介と名のっていた。号は学而(がくじ)。字は子成。 (ウィキペディア)
「教門論疑問」
「日曜日之説」

片岡 鉄兵   (校正受付

片岡 鉄兵(かたおか てっぺい、1894年(明治27年)2月2日 - 1944年(昭和19年)12月25日)は、大正・昭和前期の小説家。「鉄平」と表記されることもある。 (ウィキペディア)
「椅子の脚の曲線」

片岡 良一   (校正受付

片岡 良一(かたおか よしかず、1897年1月5日 - 1957年3月25日)は、日本文学者。近代文学をアカデミズムで論じた初期の人物である。神奈川県生まれ。東京帝国大学国文学科卒。1926年刊行の『井原西鶴』で注目され、1929年『現代文学諸相の概観』で近代文学を論じて自我史観を示し、近代文学研究の基礎を据えたとされる。旧制東京府立高等学校の教員時代の教え子に小田切秀雄がいる。小田切に自宅を会合の場として提供したとして辞任。1934年法政大学教授、1941年北京師範大学教授、1946年再度法政大教授となる。著作集全11巻がある。 (ウィキペディア)
「子規の小説」
「山田美妙小論」

片山 潜   (校正受付

片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。 (ウィキペディア)
「歩いてきた道」

片山 広子   (校正受付

片山 広子(片山 廣子、かたやま ひろこ、1878年(明治11年)2月10日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の歌人、随筆家、アイルランド文学翻訳家(松村みね子名義)。 (ウィキペディア)
「「金鈴」……九條武子夫人の近業を読む」
「故水野仙子の君を悼む」
「百日の後に」

勝峯 晋風   (校正受付

「枯尾花」
「馬蹄二百句 一名新二百韻」
「花つみ」

加藤 一夫   (校正受付

加藤一夫(かとう かずお) (ウィキペディア)
「クロポトキンの芸術論」
「クロポトキンの芸術論」
「「クロポトキンの芸術論」序」

加藤 咄堂   (校正受付

加藤 咄堂(かとう とつどう、1870年12月13日(明治3年11月2日)- 1949年(昭和24年)4月2日)は、日本の仏教学者、作家、教化運動家。第一次弁論ブームの終焉期から第二次世界大戦中にかけて雄弁学(弁論)に関する著作を多く残した。本名は加藤熊一郎。僧籍は持たなかった。主著に『大乗起信論講話』がある。 (ウィキペディア)
「宗教風俗」

加藤 道夫   (校正受付

加藤 道夫(かとう みちお、1918年(大正7年)10月17日 - 1953年(昭和28年)12月22日)は、日本の劇作家。カミュやミュッセの翻訳、ジャン・ジロドゥ研究や演劇評論などでも知られ、芥川比呂志や三島由紀夫、矢代静一らと共に、岸田国士が発足した文学立体化運動「雲の会」の同人としても活躍したが、最後は自宅書斎で縊死自殺した。妻は女優の加藤治子。姪は作家の加藤幸子。 (ウィキペディア)
「芥川比呂志」
「美しいだけでは間にあはない」
「詩人の死」
「僕の演劇遍路」
「目に見えない怪物 能の現代化」

金森 徳次郎   (校正受付

金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年3月17日 - 1959年6月16日)は、日本の官僚、政治家、憲法学者。岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の国務大臣。初代国立国会図書館長も務めた。 (ウィキペディア)
「素人図書館人の手記」

金田 鬼一   (校正受付

金田 鬼一(かねだ きいち、1886年12月10日 - 1963年11月1日)は日本のドイツ文学者、翻訳家。日本にグリム童話を紹介し、NHKラジオドイツ語講座の講師をも担当した。 (ウィキペディア)
「「グリム童話集」序」

加能 作次郎   (校正受付

加能 作次郎(かのう さくじろう、1885年〈明治18年〉1月10日 - 1941年〈昭和16年〉8月5日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家。石川県羽咋郡西海村風戸(現・志賀町西海風戸〈さいかい ふと〉)出身。 (ウィキペディア)
「乳の匂い」

川合 貞一   (校正受付

川合 貞一(かわい ていいち、明治3年3月29日(1870年4月29日) - 昭和30年(1955年)6月19日)は、明治から昭和初期にかけての哲学者、文学博士、慶應義塾大学名誉教授。 (ウィキペディア)
「ヴィルヘルム・ヴント」

河上 肇   (校正受付

河上 肇(かわかみ はじめ、1879年10月20日 - 1946年1月30日)は、日本の経済学者である。京都帝国大学でマルクス経済学の研究を行っていたが、教授の職を辞し、共産主義の実践活動に入る。日本共産党の党員となったため検挙され、獄中生活を送る。カール・マルクス『資本論』の翻訳(第一巻の一部のみ翻訳)やコミンテルン三十二年テーゼの翻訳のほか、ベストセラー『貧乏物語』の他に、『第二貧乏物語』『資本論入門』の著作がある。死後に刊行された『自叙伝』は広く読まれた。名文家であり、漢詩もよく知られている。福田徳三とは終生のライバルであった。 (ウィキペディア)
「獄中日記 昭和十年」

川田 順   (校正受付

川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。住友総本社常務理事。 (ウィキペディア)
「たけくらべ」

神吉 三郎   (校正受付

神吉 三郎(かんき さぶろう、1899年 - 1952年)は、英文学者、翻訳家。長男は直木賞作家の神吉拓郎。 1923年東京帝国大学英文科卒。戦後、東京大学教養学部教授。在任中に死去。 (ウィキペディア)
「森の生活 ウォールデン」

観世 左近 二十四世   (校正受付

「流儀の定め」

神田 孝平   (校正受付

神田 孝平(かんだ たかひら、1830年10月31日(文政13年9月15日) - 1898年(明治31年)7月5日)は江戸時代末期から明治時代にかけての日本の洋学者、政治家。男爵。旧名・孟恪、号は淡崖。 (ウィキペディア)
「国楽を振興すべきの説」
「財政変革の説」
「鉄山を開くべきの議」
「民選議院の時未だ到らざるの論」

蒲原 有明   (校正受付

蒲原 有明(かんばら ありあけ、1875年(明治8年)3月15日 - 1952年(昭和27年)2月3日)は、日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。東京生まれ。 (ウィキペディア)
「京都」
「雪は降る」

菊池 寛   (校正受付

菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日)は、小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社を創設した実業家でもある。本名は菊池 寛(きくち ひろし)。 (ウィキペディア)
「袈裟の良人」
「第二の接吻」

岸上 質軒   (校正受付

「明治初年の社会風俗 奠都三十年」

岸田 国士   (校正受付

岸田 國士(きしだ くにお、1890年(明治23年)11月2日 - 1954年(昭和29年)3月5日)は、日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。 (ウィキペディア)
「愛翼千里」
「悪態の心理」
「X光線室」
「落葉日記」
「啄木鳥」
「孔雀の庭」
「計算は計算」
「恋の約束」
「すべてを得るは難し」
「善魔」
「双面神」
「暖流」
「地下八百尺物語」
「花問答」
「ぶどう畑のぶどう作り」
「「ぶどう畑のぶどう作り」後記」
「鞭を鳴らす女」
「牝豹」
「由利旗江」

北 一輝   (校正受付

北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。 (ウィキペディア)
「国家改造案原理大綱」

喜田 貞吉   (校正受付

喜田 貞吉(きた さだきち、1871年7月11日(明治4年5月24日) - 1939年(昭和14年)7月3日)は、第二次世界大戦前の日本の歴史学者、文学博士。考古学、民俗学も取り入れ、学問研究を進めた。 (ウィキペディア)
「青屋考」
「東人考」
「安達ヶ原の鬼婆々(余白録)」
「「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」 ――日本石器時代終末期――」
「石上神宮の神宝七枝刀」
「猪名部と佐伯部」
「遺物・遺蹟と歴史研究」
「夷俘・俘囚の考」
「蝦夷とコロボツクルとの異同を論ず」
「奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について」
「喜田申す」
「考古学と古代史」
「上代肉食考」
「庄内と日高見」
「震災後記」
「震災日誌」
「土蜘蛛種族論につきて(小林君の駁論に答う)」
「「鐵」の字の古体と古代の文化」
「銅鐸民族研究の一断片」
「東北民族研究序論 ――歴史家の観たるわが民族観――」
「日本石器時代の終末期について」
「日本太古の民族について」
「日本における史前時代の歴史研究について」
「日本民族概論」
「日本歴史物語(上)」
「日高見国の研究」
「払田柵址について二、三の考察」
「本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見――」
「八坂瓊之曲玉考」
「山形県本楯発見の柵址について ――出羽柵址か国分寺址か――」
「吉野の国巣と国樔部」
「倭奴国および邪馬台国に関する誤解」
「倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う」

北大路 魯山人   (校正受付

北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん、ろざんじん・ろさんにん とも、1883年(明治16年)3月23日 - 1959年(昭和34年)12月21日)は、日本の芸術家。本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。 (ウィキペディア)
「愛陶語録」
「一茶の書」
「遠州の墨蹟」
「織部という陶器」
「覚々斎原叟の書」
「雅美ということ」
「河井寛次郎近作展の感想」
「河井寛次郎氏の個展を観る」
「鑑賞力なくして習字する勿れ」
「芸術的な書と非芸術的な書」
「芸美革新」
「乾山の陶器」
「現代能書批評」
「古唐津」
「古器観道楽」
「古九谷観」
「古染付の絵付及び模様」
「坐辺師友」
「志野焼の価値」
「習書要訣――美の認識について――」
「春屋の書について」
「書道習学の道」
「書道と茶道」
「書道を誤らせる書道奨励会」
「青年よ師を無数に択べ」
「瀬戸黒の話」
「高橋箒庵氏の書道観」
「陶器観賞について」
「陶器個展に観る各作家の味」
「陶磁印六顆を紹介する」
「南浦紹明墨蹟」
「能書を語る」
「美術芸術としての生命の書道」
「備前焼」
「人と書相」
「墨蹟より見たる明治大正の文士」
「掘出しは病気の元」
「魅力と親しみと美に優れた良寛の書」
「「明の古染付」観」
「牧渓の書の妙諦」
「柳宗悦氏の筆蹟を通じその人を見る ――名論の逆を行く氏の書――」
「よい書とうまい書」
「余が近業として陶磁器製作を試みる所以」
「良寛の書」
「料理と器物」
「魯山人家蔵百選 序」
「魯山人作陶百影 序」

北原 白秋   (校正受付

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。 (ウィキペディア)
「赤いブイ」
「秋山小助」
「影」
「葛飾文章」
「鑕」
「季節の窻」
「雲母集」
「桐の花 抒情歌集」
「渓流唱」
「五足の靴 五人づれ」
「哥路」
「新興童謡と児童自由詩」
「象の子」
「第二白金ノ独楽」
「短歌の書」
「月と胡桃」
「橡」
「とんぼの眼玉」
「香ひの狩猟者」
「白秋全集 第14巻 小説集 後記」
「風景は動く」
「二重虹」
「牡丹の木 「黒檜」以後」
「祭の笛」
「緑の触覚」
「よぼよぼ順礼」

北村 透谷   (校正受付

北村 透谷(きたむら とうこく、1868年12月29日(明治元年11月16日) - 1894年(明治27年)5月16日)は、日本の評論家・詩人。明治期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた。 (ウィキペディア)
「一夕観」
「文学史の第一着は出たり」
「文学史の第一着は出たり」

木下 尚江   (校正受付

木下 尚江(きのした なおえ、1869年10月12日(明治2年9月8日)- 1937年(昭和12年)11月5日)は、日本の社会運動家、作家。男性。尚江は本名。 (ウィキペディア)
「元良博士の『教育と宗教との關係』を讀む」

木下 杢太郎   (校正受付

木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)は、皮膚科の医学者、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家。大学医学部の教授を歴任し、また、南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的など言われるきらびやかな詩や戯曲を残した。堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、などの筆名も用いた。 (ウィキペディア)
「五足の靴 五人づれ」

紀平 正美   (校正受付

紀平 正美(きひら ただよし、1874年4月30日 - 1949年9月19日)は、日本の哲学者。元学習院教授、国民精神文化研究所所員。文学博士。三重県出身。日本におけるヘーゲル哲学研究の先駆者。 (ウィキペディア)
「如何に死すべきか」

金 史良   (校正受付

金 史良(キム・サリャン、1914年3月3日 - 1950年10月?)は、朝鮮の小説家。本名は金時昌(キム・シチャン)。日本語・朝鮮語両方で創作した。「在日朝鮮人文学」の先駆的存在である。 (ウィキペディア)
「親方コブセ」
「土廊城」

金 鍾漢   (校正受付

「赤い手」
「馬について」
「園丁」
「玉流洞」
「合唱について」
「合唱について」
「帰農詩篇」
「急性肺炎 くらいまっくす/快癒期」
「帰路/旅情」
「空山明月」
「九城洞」
「金剛山/瀑布」
「殺鶏白飯」
「「雪白集」あとがき」
「善夫孤独」
「善夫孤独(序詩)」
「待機」
「たらちねのうた」
「朝餐」
「長壽山」
「躑躅」
「ながれぼし」
「瀑布」
「一枝について」
「毘盧峰」
「風俗」
「冬籠り」
「古井戸のある風景」
「古井戸のある風景」
「白馬江/百済古甕賦」
「白鹿潭」
「放送局の屋上で」
「幼年」
「幼年」

木村 荘太   (校正受付

木村 荘太(きむら そうた 1889年2月3日 - 1950年4月15日)は東京府出身の作家、翻訳家。本名の読みは「しょうた」。別名に久木今作、木村艸太(そうた)とも。 (ウィキペディア)
「牽引」

木山 捷平   (校正受付

木山 捷平(きやま しょうへい、1904年(明治37年)3月26日 - 1968年(昭和43年)8月23日)は、岡山県小田郡新山村(現在の笠岡市)出身の小説家、詩人。私小説の代表的作家の一人である。短編小説を得意とした。 (ウィキペディア)
「赤い提灯」
「朱い実」
「出石城崎」
「井伏鱒二」
「氏神さま」
「帰る所」
「釘」
「子におくる手紙」
「歳月」
「山陰」
「修身の時間」
「尋三の春」
「大陸の細道」
「竹の花筒」
「太宰治」
「枕頭台」
「点滴日記」
「ななかまど」
「鼠ヶ関」
「初恋」
「浜松の茶瓶」
「春雨」
「一昔」
「弁当」
「骨さがし」
「耳学問」
「弥次郎兵衛」
「山ぐみ」

キャロル ルイス   (校正受付

ルイス・キャロル(Lewis Carroll, 1832年1月27日 - 1898年1月14日)は、イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人である。 (ウィキペディア)
「愛ちやんの夢物語」

楠田 匡介   (校正受付

楠田 匡介(くすだ きょうすけ、1903年8月23日 - 1966年9月23日)は、日本の推理作家。 (ウィキペディア)
「二枚の借用証書」

楠山 正雄   (校正受付

楠山 正雄(くすやま まさお、1884年11月4日 - 1950年11月26日)は、日本の演劇評論家、編集者、児童文学者。主に大正時代から昭和時代戦後初期にかけて活動した。 (ウィキペディア)
「神田界隈」
「しっぺい太郎」
「鉢かつぎ」

邦枝 完二   (校正受付

邦枝 完二(くにえだ かんじ、1892年12月28日 - 1956年8月2日)は日本の小説家。東京市麹町区(現・千代田区)出身。本名・邦枝 莞爾。雅号・双竹亭竹水。戸籍上の誕生日は1893年1月1日。 (ウィキペディア)
「女間者」

国枝 史郎   (校正受付

国枝 史郎(くにえだ しろう、1887年10月4日 - 1943年4月8日)は日本の小説家。怪奇・幻想・耽美的な伝奇小説の書き手。他に探偵小説、戯曲なども執筆。 (ウィキペディア)
「五階の窓 05 合作の五」
「「五階の窓」執筆に就いて ―不満二三―」
「御存与太話」
「大衆文芸問答」
「大衆物寸観」
「他界の味其他」
「畳まれた町」
「探偵小説を作って貰い度い人々」
「探偵文壇鳥瞰」
「人間製造」
「半七雑感」
「二つの作品」
「又復与太話」
「目撃者」
「妖異むだ言」

国木田 独歩   (校正受付

国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 (ウィキペディア)
「正直者」

窪田 空穂   (校正受付

窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人、国文学者。日本芸術院会員。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。 (ウィキペディア)
「わが文学体験」

久保田 万太郎   (校正受付

久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年(明治22年)11月7日 - 1963年(昭和38年)5月6日)は、浅草生まれの大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家。生粋の江戸っ子として伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては岡本松浜、松根東洋城に師事、戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家として知られる。俳句の別号に暮雨、傘雨。別の筆名に千野菊次郎。文化勲章受章者。贈従三位勲一等瑞宝章(没時叙位叙勲)。 (ウィキペディア)
「日本海の波」

久米 正雄   (校正受付

久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日)は、日本の小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。“微苦笑”という語の発明者として有名。永井龍男は義弟(永井の妻が、久米の妻の妹)。息子の久米昭二はNHKの演芸番組のディレクターとなり、女優の音羽美子と結婚した。 (ウィキペディア)
「熊」
「受験生の手記」

クロポトキン ピョートル・アレクセーヴィチ   (校正受付

「監獄論 監獄の囚人に対する精神的影響」
「クロポトキンの芸術論」
「裁判論」
「シベリア流刑囚」
「正義と道徳」
「即時講和論に対する宣言」
「代議制度」
「麺麭の略取 英版自序」
「法律と強権」
「無政府主義の道徳」
「リオン控訴院に於ける被告無政府主義者等の宣言」
「ロシアの牢獄」

桑木 厳翼   (校正受付

桑木 厳翼(くわき げんよく、1874年(明治7年)6月25日 - 1946年(昭和21年)12月15日)は、日本の哲学者。文学博士。 (ウィキペディア)
「哲学と哲学史」
「「プラグマティズム」に就て」

慶應義塾    (校正受付

慶應義塾(けいおうぎじゅく)は、日本の学校法人。福沢諭吉が1858年(安政5年)に中津藩江戸藩邸で開いた蘭学塾が起源。シンボルマークはペンマーク。 (ウィキペディア)
「修身要領」

呉 承恩   (校正受付

呉承恩(ご・しょうおん、簡体字:吴承恩、ピンイン:Wú Chéng'ēn、1506年(正徳元年)頃 - 1582年(万暦10年)頃)は明代の中国の官吏、文人。字は汝忠、号は射陽山人。江蘇省淮安府山陽県の人。中国では魯迅が『中国小説史略』で記述してから、『西遊記』の著者として認められているが確証はなく、日本の太田辰夫や中野美代子らの反論がある。 (ウィキペディア)
「絵本西遊記」

小池 英三   (校正受付

「シベリア流刑囚」
「ロシアの牢獄」

小泉 八雲   (校正受付

(1904-09-26) 1904年9月26日(54歳没) 日本・東京府豊多摩郡大久保村西大久保 (ウィキペディア)
「秋月先生の古稀を祝して」
「明治三十四年東京帝国大学文学部卒業生に」

甲賀 三郎   (校正受付

甲賀 三郎(こうが さぶろう) (ウィキペディア)
「五階の窓 04 合作の四」

幸田 露伴   (校正受付

幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日(慶応3年7月23日) - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の小説家。本名は成行(しげゆき)。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 (ウィキペディア)
「今昔物語と剣南詩藁」
「神仙道の一先人」
「努力論」
「貧富幸不幸」
「ふしぎ」
「聊斎志異とシカゴエキザミナーと魔法」

幸徳 秋水   (校正受付

幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。 (ウィキペディア)
「共産党宣言」
「麺麭の略取 英版自序」

河野 常吉   (校正受付

河野 常吉(こうの つねきち、1863年1月11日(文久2年11月22日) - 1930年(昭和5年)9月3日)は、明治大正期の北海道史研究者。アイヌ研究者として名高い河野広道は子、河野本道は孫に当たる。 (ウィキペディア)
「コロポックル説の誤謬を論ず(下)」
「コロポックル説の誤謬を論ず(上)」

ゴーゴリ ニコライ   (校正受付

ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ(ウクライナ語:Микола Васильович Гоголь / ロシア語: Николай Васильевич Гоголь; 1809年4月1日(ユリウス暦3月20日) - 1852年3月4日(ユリウス暦2月21日))は、ウクライナ生まれのロシア帝国の小説家、劇作家。ウクライナ人。戸籍上の姓は、ホーホリ=ヤノーウシクィイ(ロシア語:ゴーゴリ=ヤノフスキー)である。『ディカーニカ近郷夜話』、『ミルゴロド』、『検察官』、『外套』、『死せる魂』などの作品で知られる。 (ウィキペディア)
「検察官」

ゴールズワージー ジョン   (校正受付

ジョン・ゴールズワージー(英語:John Galsworthy、1867年8月14日 - 1933年1月31日)は、イギリスキングストン・アポン・テムズ王立特別区の小説家、劇作家。 (ウィキペディア)
「勝利者と敗北者」

小金井 良精   (校正受付

小金井 良精(こがねい よしきよ、1859年1月17日(安政5年12月14日) - 1944年(昭和19年)10月16日)は、明治から昭和にかけて活躍した解剖学者・人類学者。森鴎外の妹婿であり、星新一の祖父。 (ウィキペディア)
「日本石器時代の住民」

小酒井 不木   (校正受付

小酒井 不木(こさかい ふぼく、本名:小酒井 光次(こさかい みつじ)、1890年(明治23年)10月8日 - 1929年(昭和4年)4月1日)は、日本の医学者、随筆家、翻訳家、推理作家。別名「鳥井零水」。 (ウィキペディア)
「五階の窓 06 合作の六(終局)」

小島 烏水   (校正受付

小島 烏水(こじま うすい、1873年12月29日-1948年12月13日)は、日本の登山家、随筆家、文芸批評家、浮世絵や西洋版画の収集家・研究家。本名は小島 久太。 (ウィキペディア)
「奥常念岳の絶巓に立つ記」

後藤 守一   (校正受付

後藤 守一(ごとう しゅいち、1888年8月10日 - 1960年7月30日)は、日本の考古学者。明治大学名誉教授。 (ウィキペディア)
「上代に於ける貴族社会の出現」

小林 古径   (校正受付

小林 古径(旧字:古徑、こばやし こけい、1883年(明治16年)2月11日 - 1957年(昭和32年)4月3日)は、大正~昭和期の日本画家。 本名は茂(しげる)。 (ウィキペディア)
「北京「可園」のスケッチ」

小山 清   (校正受付

小山 清(こやま きよし、1911年(明治44年)10月4日 - 1965年(昭和40年)3月6日)は東京出身の小説家。太宰治の門人としても知られる。 (ウィキペディア)
「犬の生活」
「井伏鱒二によせて」
「おじさんの話」
「栞」
「スペエドの兵士」
「聖家族」
「日日の麺麭」
「風貌 ――太宰治のこと」
「老人と孤独な娘」
「老人と鳩」

ゴルドン エリザベス、アンナ   (校正受付

「弘法大師と景教との関係 一名、物言ふ石、教ふる石」

コッローディ カルロ   (校正受付

カルロ・コッローディ(伊: Carlo Collodi、1826年11月24日 - 1890年10月26日)、本名カルロ・ロレンツィーニ(Carlo Lorenzini)は、イタリアの作家。トスカーナ大公国のフィレンツェ出身。その代表作『ピノッキオの冒険』で世界的に知られている。 (ウィキペディア)
「ピノッキオ」

三枝 博音   (校正受付

三枝 博音(さいぐさ ひろと、1892年(明治25)5月20日 - 1963年(昭和38)11月9日)は、日本の哲学者。 思想史、科学史や技術史についての研究も多い。 (ウィキペディア)
「科学と社会組織」
「科学の哲学(遺稿)」
「「学問」についての若干の思索」
「鎌倉大学廃校始末記 ――風評、大学をつぶす」
「「自然」という呼び名の歴史 日本の思想文化の分析の試みの一つ」
「そのやり方が科学的でないことを日本の「科学史」の中に見る試み」
「日本の科学思想」
「人間像 ――第二次世界大戦以後の人間理想型探求のための序論」
「服部之総と私」
「明治以前の科学的研究における庶民性について」
「わが科学思想史の諸問題」

斎藤 秀三郎   (校正受付

斎藤 秀三郎(さいとう ひでさぶろう、1866年2月16日(慶応2年1月2日) - 1929年(昭和4年)11月9日)は、明治・大正期を代表する英語学者・教育者。宮城県仙台市出身。 (ウィキペディア)
「熟語本位英和中辞典 24 X」
「熟語本位英和中辞典 26 Z」

斎藤 茂吉   (校正受付

斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日 - 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長女は百合子、次女は晶子。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。 (ウィキペディア)
「紙幣鶴」
「玉菜ぐるま」
「妻」
「童馬山房夜話 03 3 昭和十二年」
「童馬山房夜話 04 4 昭和十三年」
「童馬山房夜話 05 5 昭和十四年」
「童馬山房夜話 06 6 昭和十五年」
「童馬山房夜話 07 7 昭和十六年」
「童馬山房夜話 09 9 昭和十八年」
「童馬山房夜話 10 10 昭和十九年」
「童馬山房夜話 11 11 昭和二十年」
「童馬山房夜話 12 後記」
「茂吉独語抄」

阪井 久良伎   (校正受付

阪井 久良伎(さかい くらき、明治2年1月24日(1869年3月6日) - 昭和20年(1945年)4月3日)は川柳作家である。別名:阪井 久良岐(さかい くらき)、徒然坊、坂井 弁(さかい わかち)、酒井 弁(さかい わかち)、本名:阪井 弁(さかい わかち)。井上剣花坊とともに川柳革新運動を行った。 (ウィキペディア)
「継古庵柳談」

堺 利彦   (校正受付

堺 利彦(さかい としひこ、明治3年11月25日(1871年1月15日) - 昭和8年(1933年)1月23日)は、日本の社会主義者・思想家・歴史家・著述家・小説家。号は枯川、別名は、貝塚渋六。 (ウィキペディア)
「共産党宣言」
「堺利彦伝」

坂口 安吾   (校正受付

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。 (ウィキペディア)
「閑山」
「戯作者文学論 ――平野謙へ・手紙に代へて――」
「禅僧」
「鉄砲」
「天才になりそこなった男の話」
「道鏡」
「二流の人」

作者不詳    (校正受付

『もうひとりのシェイクスピア』(Anonymous)は2011年のイギリス・ドイツ合作の歴史サスペンス映画。ローランド・エメリッヒ監督、リス・エヴァンス、ヴァネッサ・レッドグレイヴ主演。劇作家ウィリアム・シェイクスピアの作品が別人によって書かれたとする「シェイクスピア別人説」のうち、第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアを本当の作者とする説に基づいたフィクションである。 (ウィキペディア)
「石田先生事蹟」
「堤中納言物語 01 はしがき・凡例」
「堤中納言物語 02 花桜折る少将」
「堤中納言物語 03 このついで」
「堤中納言物語 04 虫めづる姫君」
「堤中納言物語 05 ほどほどの懸想」
「堤中納言物語 06 逢坂越えぬ権中納言」
「堤中納言物語 07 かひあはせ」
「堤中納言物語 08 思はぬ方にとまりする少将」
「堤中納言物語 09 はなだの女御」
「堤中納言物語 10 はいずみ」
「堤中納言物語 11 よしなしごと」
「風土記物語」

佐倉 潤吾   (校正受付

佐倉 潤吾(さくら じゅんご、1905年 - 1964年12月10日)は、日本の翻訳家。東京府立第一中学校卒、1929年東京商科大学(現一橋大学)卒、東京日日新聞入社。戦後、毎日新聞ニューヨーク支局長、論説委員。定年後は推理小説を多く翻訳した。 (ウィキペディア)
「「チャーリー・チャンの活躍」解説」
「チャーリー・チャンの活躍」

笹川 種郎   (校正受付

笹川 臨風(ささかわ りんぷう、1870年9月2日(明治3年8月7日) - 1949年(昭和24年)4月13日)は、日本の歴史家、評論家、俳人。本名は種郎(たねお)。 (ウィキペディア)
「絵本西遊記」

佐々木 喜善   (校正受付

佐々木 喜善(ささき きぜん、1886年10月5日 - 1933年9月29日)は、日本の民俗学者、作家、文学者、文学研究者、民話・伝説・習俗・口承文学の収集家、研究家。一般には学者として扱われるが佐々木自身は、資料収集者であり学者ではないと述べている。 (ウィキペディア)
「東奥異聞」

佐々木 邦   (校正受付

佐々木 邦(ささき くに、1883年(明治16年)5月4日 - 1964年(昭和39年)9月22日) は日本の作家、英文学者。弟・順三は立教大学総長。 (ウィキペディア)
「いたずら小僧日記」
「大番頭小番頭」
「おてんば娘日記」
「親鳥子鳥」
「諧謔小説 次男坊」
「勝ち運負け運」
「ガラマサどん」
「奇物変物」
「求婚三銃士」
「ぐうたら道中記」
「昭和派出男会」
「全権先生」
「脱線息子」
「使ふ人使はれる人」
「トム君サム君」
「のらくら倶楽部」
「美人自叙伝」
「百円級の人達」
「夫婦百面相」
「文化村の喜劇」
「凡人伝」
「負けない男」
「無軌道青春」
「村の少年団」
「村の成功者」
「嫁取婿取」

佐々木 直次郎   (校正受付

佐々木 直次郎(ささき なおじろう、1901年3月27日 - 1943年5月24日)は、日本の翻訳家。 (ウィキペディア)
「影 ――寓話」
「群集の人」
「鐘塔の悪魔」
「沈黙」
「罎の中から出た手記」
「ペスト王 寓意を含める物語」
「アッシャア家の崩壊「解説」」

佐佐木 信綱   (校正受付

佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位勲六等文学博士。 (ウィキペディア)
「大和ぶり」

佐田 白茅   (校正受付

佐田 白茅(さだ はくぼう、天保3年12月10日(1833年1月30日) - 明治40年(1907年)10月4日)は、明治時代初期の外交官である。初期の朝鮮との国交交渉に関与し、のち征韓論を唱えた人物として知られる。 (ウィキペディア)
「征韓論の旧夢談」

佐藤 栄太   (校正受付

「永仁鐘の喪失」
「置賜西部の文化を探る」
「慶長年間の朝日連峰通路に就て」
「再び梵鐘に就て」

佐藤 垢石   (校正受付

佐藤 垢石(さとう こうせき、1888年(明治21年)6月18日 - 1956年(昭和31年)7月4日)は、日本のエッセイスト、釣りジャーナリスト。本名は佐藤亀吉(さとう かめきち)。号の「垢石」とは釣り用語である。鮎は水中の石の表面につく水コケを食用とするが、鮎釣り師はこの水ごけを「垢」と呼び、垢の食べ跡を観察して魚の所在を判定するという。 (ウィキペディア)
「アンコウの味」
「裏飛騨の鍋飯」
「ガラガラ釣」
「川から海へ」
「寒鮠の記」
「熊」
「諸国友釣り自慢」
「初心の釣友へ」
「新秋釣旅」
「戦場ヶ原の溪谷」
「早春の山女魚」
「爽涼漁趣」
「鯛漁師」
「釣意揺曵」
「釣人図譜」
「釣姿父子の旅」
「釣り旅千里」
「長津呂から神子元島へ」
「夏釣日記」
「南豆の快釣」
「河豚の釣味」
「冬の鯊釣」
「魔味談」
「湯西川から土呂部へ」
「妖鯰記」
「夜の黒鯛」

佐藤 紅緑   (校正受付

佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年(明治7年)7月6日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、日本の作家、俳人。 (ウィキペディア)
「あゝ玉杯に花うけて」

佐藤 惣之助   (校正受付

佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1890年12月3日 - 1942年5月15日)は、日本の詩人、作詞家。神奈川県川崎市出身。 (ウィキペディア)
「釣心魚心」
「日本の釣技」

佐藤 伝蔵   (校正受付

佐藤 伝蔵(さとう でんぞう、1925年12月16日 - 1986年8月8日)は、青森ねぶたの山車制作者(ねぶた師)。第3代ねぶた名人。 (ウィキペディア)
「桜島火山の破裂」

佐藤 春夫   (校正受付

佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。初代新宮市名誉市民。 (ウィキペディア)
「晶子さんの煙草正月」
「芥川竜之介を憶ふ」
「芥川竜之介を哭す」
「宇野浩二君を思う」
「思い出」
「管見芭蕉翁」
「小泉八雲に就てのノート」
「個人的な余りに個人的な饒舌 =龍之介対潤一郎の小説論争=」
「最初の訪問」
「新宮」
「新詩社と石川啄木 ――一つのおぼえ書き――」
「短篇小説は何故不振か 文学俗論のうち」
「女人焚死」
「ネクタイとステッキ」
「針金細工の詩」
「人さまざまの苦労の話」
「星」

実吉 捷郎   (校正受付

実吉 捷郎(さねよし はやお、1895年(明治28年)1月20日 - 1962年(昭和37年)2月15日)は日本の独文学者。 (ウィキペディア)
「ブッデンブロオク家の人々」

ザングヴィル イスレール   (校正受付

「ボウ町の怪事件」

ジェファーソン トマス   (校正受付

トーマス・ジェファーソン(英: Thomas Jefferson、1743年4月2日(ユリウス暦)/4月13日(グレゴリオ暦) - 1826年7月4日)は、アメリカ合衆国の政治家で、第3代アメリカ合衆国大統領(1801年 - 1809年)。 (ウィキペディア)
「千七百七十六年第七月四日、亜米利加十三州独立の檄文」
「千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州独立ノ檄文」
「千七百七十六年第七月四日、亜米利加十三州独立の檄文」

塩寺 はるよ   (校正受付

「化粧匣の都邑」

志賀 重昂   (校正受付

志賀 重昂(しが しげたか、文久3年11月15日(1863年12月25日) - 昭和2年(1927年)4月6日)は、日本の地理学者、評論家、教育者、衆議院議員。誕生日は9月15日(1863年10月27日)ともいう。矧川(しんせん)・矧川漁長を号した。 (ウィキペディア)
「恵那峡」

志賀 矧川   (校正受付

「恵那峡」

式場 隆三郎   (校正受付

式場 隆三郎(しきば りゅうざぶろう、1898年7月2日 - 1965年11月21日)は、新潟県中蒲原郡生まれの日本の精神科医。専門は精神病理学。医学博士(新潟医科大学・1929年)。千葉県市川市名誉市民。第3代日本ハンドボール協会会長。 (ウィキペディア)
「二笑亭綺譚 01 二笑亭綺譚」

繁野 天来   (校正受付

繁野 天来(しげの てんらい、1874年2月16日 - 1933年3月2日)は、日本の詩人、英文学者。 (ウィキペディア)
「失楽園物語」
「失楽園物語」

司馬 遷   (校正受付

司馬 遷(しば せん、紀元前145/135年? – 紀元前87/86年?)は、中国前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。 (ウィキペディア)
「史記列伝 01 伯夷列伝」
「史記列伝 02 管晏列伝」
「史記列伝 03 老子韓非列伝」
「史記列伝 04 司馬穰苴列伝」

柴田 宵曲   (校正受付

柴田 宵曲(しばた しょうきょく、1897年(明治30年)9月2日 - 1966年(昭和41年)8月23日)は、日本の俳人、歌人、随筆家、書誌学者。本名は泰助。博識で、談話筆記・編集・校正に長じ、知友の著書の刊行に貢献した。 (ウィキペディア)
「「俳諧大要」解説」

柴田 昌吉   (校正受付

柴田 昌吉(しばた まさきち、しばた しょうきち天保12年12月27日(1842年2月7日) - 明治34年(1901年)10月8日)は、日本の英語学者。長崎生まれ。長崎英語伝習所で学び、幕府、明治政府で通訳を務めた。 (ウィキペディア)
「「ヒリモア」万国公法の内宗教を論ずる章」

島木 健作   (校正受付

島木 健作(しまき けんさく、1903年9月7日 - 1945年8月17日)は、日本の小説家。本名は朝倉 菊雄(あさくら きくお)。高見順・中野重治・徳永直・林房雄らとともに、転向文学を代表する作家の1人。 (ウィキペディア)
「青服の人」
「赤蛙」
「ある作家の手記」
「雨期」
「運命の人」
「壊滅後」
「苦悶」
「黒猫」
「煙」
「三十年代一面」
「ジガ蜂」
「死に近く」
「出発まで」
「生活の探求」
「背に負うた子」
「戦災見舞」
「続生活の探求」
「小さな妹」
「名附親」
「野の少女」
「一つの転機」
「蒲団」
「むかで」
「芽生」

島崎 藤村   (校正受付

島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日)は、日本の詩人、小説家。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。 (ウィキペディア)
「幸福」
「力餅」
「春」

島地 大等   (校正受付

島地 大等(しまじ だいとう、1875年10月8日 - 1927年7月4日)は、浄土真宗の僧侶。旧姓は姫宮、幼名は等。新潟県頸城郡三郷村(現・上越市)出身。 (ウィキペディア)
「明治宗教史 基督教及佛教」

島津 久基   (校正受付

島津 久基(しまづ ひさもと、1891年(明治24年)4月16日 - 1949年(昭和24年)4月8日)は、国文学者、東京大学文学部名誉教授。 (ウィキペディア)
「古代・中世の「作り物語」」
「散佚物語三つ」
「竹取物語小論」
「註解ミツチヤン日記」
「平安朝文学の弾力」
「昔物語と歌物語 ――源氏物語以前の小説――」

嶋中 雄作   (校正受付

嶋中 雄作(しまなか ゆうさく、1887年2月2日 - 1949年1月17日)は、出版人・編集者、中央公論社社長。奈良県生まれ。 (ウィキペディア)
「日本出版協会論」

島村 抱月   (校正受付

島村 抱月(しまむら ほうげつ、1871年2月28日(明治4年1月10日)- 1918年(大正7年)11月5日)は、日本の文芸評論家、演出家、劇作家、小説家、詩人。新劇運動の先駆けの一人として知られる。旧姓は佐々山、幼名は瀧太郎。 (ウィキペディア)
「一夕文話」
「今の写生文」
「現代の文脈」
「言文一致と敬語」
「新文章論」
「明治文学略史」

清水 卯三郎   (校正受付

清水 卯三郎(しみず うさぶろう、文政12年3月4日(1829年4月7日) - 明治43年(1910年)1月20日)は、武蔵国埼玉郡羽生村(現在の羽生市)出身の実業家。母は根岸友山の妹。浅草の「瑞穂屋」として名を馳せたことから、瑞穂屋卯三郎とも呼ばれた。 (ウィキペディア)
「化学改革の大略」
「平仮名の説」

自由聯合新聞    (校正受付

「サンジカリズム論」
「戦術の諸問題」
「手紙 マラテスタの最近の消息」
「ピエール・クロポトキン 一老友の思い出と批判」
「「無政府主義の腕」 マラテスタの生涯」
「無政府主義への道」
「労働運動における無政府主義者」

シュニッツレル アルツール   (校正受付

「みれん」

ジョーダン デイビッド・スター   (校正受付

デイビッド・スター・ジョーダン,Ph.D.,LL.D.(David Starr Jordan, 1851年1月19日 - 1931年9月19日)は、アメリカの優生学者、魚類学者、教育者、平和活動家。 (ウィキペディア)
「ぺにろいやるのおにたいじ」

白石 実三   (校正受付

「田山花袋先生」

白鳥 庫吉   (校正受付

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 (ウィキペディア)
「邪馬台国について」

神西 清   (校正受付

神西 清(じんざい きよし、1903年11月15日 - 1957年3月11日)は、日本のロシア文学者、翻訳家、小説家、文芸評論家。 (ウィキペディア)
「「あかい花 他四篇」あとがき」
「「永遠の夫」解説」
「三人姉妹 ――戯曲 四幕――」
「三島由紀夫 ナルシシスムの運命」

新村 出   (校正受付

新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 (ウィキペディア)
「『言苑』序文」
「『言苑』跋」
「『言林』改訂版の序」
「『言林』自序」
「『言林』新版序」
「『言林』跋」
「『国語博辞典』序文」
「『辞苑』自序」
「『辞苑』跋」
「『小言林』あとがき」
「『小言林』序文」
「『新辞泉』序文」
「『大言海』」
「『大言海』後記」

末吉 安持   (校正受付

「夕の賦」

杉浦 重剛   (校正受付

杉浦 重剛(すぎうら じゅうごう、安政2年3月3日(1855年4月19日)- 大正13年(1924年2月13日)は、明治・大正時代の国粋主義的教育者・思想家。幼名は謙次郎。父は膳所藩の儒者杉浦重文。近江国膳所藩(現・滋賀県大津市)出身。 (ウィキペディア)
「良子女王殿下特別御進講草案」
「倫理書」

杉田 直樹   (校正受付

杉田 直樹(すぎた なおき、1887年9月3日 - 1949年8月29日)は、日本の医学者、精神科医。 (ウィキペディア)
「処女の書 ――若い女性の性教育のために――」

杉村 楚人冠   (校正受付

杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月3日)は、新聞記者、随筆家、俳人である。本名は杉村 廣太郎(すぎむら こうたろう)。別号は縦横、紀伊縦横生、四角八面生、涙骨など多数。 (ウィキペディア)
「検疫と荷物検査」

鈴木 大拙   (校正受付

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教学者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。 (ウィキペディア)
「禅堂生活」
「禅とは何か」

「正義と道徳」編集委員    (校正受付

「「正義と道徳」ロシア版の序」

関口 存男   (校正受付

関口 存男(せきぐち つぎお、正字は關口存男、1894年11月21日 - 1958年7月25日)は、日本のドイツ語学者である。通称ゾンダン(ドイツ語のsondernにかけてある)。また、村田実らの新劇運動に参加、主役級の俳優として大正期の無声映画に出演していることでも知られる。 (ウィキペディア)
「徒然草より」

妹尾 アキ夫   (校正受付

妹尾 韶夫(せのお あきお、1892年(明治25年)3月4日 ‐ 1962年(昭和37年)4月19日)は、日本の翻訳家・探偵小説作家。創作では妹尾アキ夫名義での活動が多い。 (ウィキペディア)
「アネズリーの受難」
「ある夏の夜」
「アルミニュームの短剣」
「暗号錠」
「「歌う白骨」序文」
「空騒ぎ」
「けすとえくえろ 探偵小説は芸術か」
「月光の道」
「山頂の灯火」
「自分を発見した男」
「ジョン・モートンスンの葬式」
「心理的遭難」
「ステリー・フレミングの幻覚」
「青春の氷河」
「前科者」
「「ソーンダイク博士」訳者あとがき」
「謎の犯人」
「ハルピン・フレイザーの死」
「パンドーラの箱」
「ポンティング氏のアリバイ」
「マクスンの作品」
「矢の家」

相馬 御風   (校正受付

相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。 (ウィキペディア)
「良寛坊物語」

ソーリー チャールズ・ハミルトン   (校正受付

「盲したる民族の憎しみ」

ソロー ヘンリー・デイビッド   (校正受付

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau、1817年7月12日 - 1862年5月6日)は、アメリカ合衆国の作家・思想家・詩人・博物学者。 (ウィキペディア)
「森の生活 ウォールデン」

高井 几董   (校正受付

高井 几董(たかい きとう、 寛保元年(1741年) - 寛政元年10月23日(1789年12月9日))は、江戸時代中期の俳諧師。夜半亭三世。別号に晋明、高子舎、春夜楼、塩山亭。 (ウィキペディア)
「02 蕪村俳句集」

高木 貞治   (校正受付

高木 貞治(たかぎ ていじ、1875年(明治8年)4月21日 - 1960年(昭和35年)2月28日)は、日本の数学者。東京帝国大学教授。第1回フィールズ賞選考委員。文化勲章受章。 (ウィキペディア)
「蟻説」

高楠 順次郎   (校正受付

高楠 順次郎(たかくす じゅんじろう、1866年6月29日(慶応2年5月17日) - 1945年(昭和20年)6月28日)は、戦前の仏教学者、インド学者。1912年、帝国学士院会員。学位は文学博士、ドクトル・フィロソフィエ(ライプツィヒ大学)など。称号は東京帝国大学名誉教授。1944年に文化勲章を受章。 (ウィキペディア)
「アジア民族の中心思想(インド編) 東洋文化史における仏教の地位」
「弘法大師と景教との関係 一名、物言ふ石、教ふる石」

高須 芳次郎   (校正受付

高須 梅渓(たかす ばいけい、1880年4月13日 - 1948年2月2日)は、日本の文芸評論家、評論家。 (ウィキペディア)
「滝口入道について」

高田 義一郎   (校正受付

高田義一郎(たかた ぎいちろう、1886年(明治19年)6月28日-1945年(昭和20年)6月14日)は、医学博士、文筆家。 (ウィキペディア)
「人造人間」
「春の生命」
「扁桃先生」

高田 保   (校正受付

高田 保(たかだ たもつ、1895年3月28日 - 1952年2月20日)は、茨城県出身の劇作家、随筆家。母方の従兄に近世文学研究者の山口剛がいる。 (ウィキペディア)
「馬鹿」
「我輩も猫である」

高橋 竜雄   (校正受付

「芳賀先生と日本主義」

高浜 虚子   (校正受付

高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 - 1959年〈昭和34年〉4月8日)は明治・大正・昭和の三代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体: 高濱 淸)。 (ウィキペディア)
「柿二つ」
「横山」

高見 順   (校正受付

高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年1月30日 - 1965年8月17日)は、日本の小説家、詩人。 (ウィキペディア)
「いやな感じ」

高村 光太郎   (校正受付

高村光雲(父) (ウィキペディア)
「永遠の感覚」
「江戸の彫刻」
「現代の彫刻」
「写生の二面」
「書についての漫談」
「書の深淵」
「書をみるたのしさ」
「正と譎と」
「戦時、美を語る」
「彫刻その他」
「彫刻に何を見る」
「唐招提寺木彫如来形像」
「七つの芸術」
「日本の美」
「美 〔いつたん此世に〕 」
「美 〔私は美術のことに〕」
「美意識について」
「美の影響力」
「美の健康性」
「普遍と独自」

宝井 其角   (校正受付

宝井 其角(たからい きかく、寛文元年7月17日(1661年8月11日) - 宝永4年2月30日(1707年4月2日。一説には2月29日(4月1日))は、江戸時代前期の俳諧師。 (ウィキペディア)
「枯尾花」
「馬蹄二百句 一名新二百韻」
「花つみ」
「虚栗」

竹内 勝太郎   (校正受付

竹内 勝太郎(たけうち かつたろう、1894年10月20日 - 1935年6月25日)は日本の詩人。京都府京都市生まれ。 (ウィキペディア)
「黒豹」

竹内 時男   (校正受付

「アインシュタインと其の思想」

竹越 与三郎   (校正受付

竹越 與三郎(たけこし よさぶろう、慶応元年10月5日(1865年11月22日) - 昭和25年(1950年)1月12日))は、日本の明治から戦前昭和にかけての歴史学者・思想史家・殖民学者・政治家。衆議院議員・枢密顧問官・貴族院勅選議員・宮内省臨時帝室編修局御用掛、同編修官長などを歴任し、戦後に公職追放指定を受け、一切の職を辞任。位階は正四位、勲等は勲一等。号は三叉(さんさ)。 (ウィキペディア)
「人民読本 (明治版)」

武田 祐吉   (校正受付

武田 祐吉(たけだ ゆうきち、1886年5月5日 - 1958年3月29日)は、大正・昭和期の日本の国文学者。 (ウィキペディア)
「風土記物語」

太宰 治   (校正受付

太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)は、日本の小説家である。本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。自殺未遂や薬物中毒を克服し戦前から戦後にかけて多くの作品を発表。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。 (ウィキペディア)
「春夫と旅行できなかつた話」

橘 純一   (校正受付

橘 純一(たちばな じゅんいち、1884年(明治17年)2月25日 - 1954年(昭和29年)1月19日)は、国文学者。 東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座)生まれ。児島喜三郎の五男。橘守部直系の家へ養子に入る。第二高等学校、1909年東京帝国大学文学部国文科卒。同助手、13年府立第五中学校教諭、21年『橘守部全集』を編集刊行。25年退職、各学校講師をしながら著述生活。36年国語解釈学会を創立、雑誌『国語解釈』を創刊。41年陸軍士官学校教官、50年跡見学園短期大学教授。没後、二松学舎大学名誉教授の称号を追贈。 (ウィキペディア)
「竹取物語の再検討」

橘 樸   (校正受付

橘 樸(たちばな しらき、1881年10月‐1945年10月)は、日本のジャーナリスト、評論家で、清末から日中戦争期にかけての中国で、『遼東新報』や『京津日日新聞』などに拠って活動した。 (ウィキペディア)
「支那民族の道徳思想」

橘 外男   (校正受付

橘 外男(たちばな そとお、1894年10月10日 - 1959年7月9日)は、日本の小説家。石川県出身。甥に少年画報社の漫画編集者で『ヤングコミック』創刊者の橘賢晋がいる。 (ウィキペディア)
「甘粕大尉とその子分」
「陰獣トリステサ」
「思い出の満鉄マン」
「怪人シプリアノ」
「帰らぬ子」
「棺前結婚」
「恋と砲弾」
「黒竜江の空に」
「酒場ルーレット紛擾記」
「松花江の感慨 ――新京・哈爾賓赤毛布」
「新京・哈爾賓赤毛布」
「逗子物語」
「聖コルソ島復讐奇譚」
「雪原に旅する男」
「男色物語」
「死の蔭探検記」
「仁王門」
「博士デ・ドウニヨールの「診断記録」」
「哈爾賓の憂欝 ――新京・哈爾賓赤毛布」
「飛騨の妖怪」
「人を呼ぶ湖」
「蒲団」
「米西戦争の蔭に――フェリシア・シルヴェリオ嬢遺書」
「ベイラの獅子像」
「亡霊怪猫屋敷」
「麻袋の行列」
「マトモッソ渓谷」
「女豹の博士」
「桃色機密室闖入記」
「野性の呼ぶ声――モーリス・アーランド手記」
「令嬢エミーラの日記」

橘 曙覧   (校正受付

橘 曙覧(たちばな あけみ、文化9年(1812年) - 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、日本の歌人。 (ウィキペディア)
「志濃夫廼舎歌集」

立原 道造   (校正受付

立原 道造(たちはら みちぞう、1914年(大正3年)7月30日 - 1939年(昭和14年)3月29日)は、昭和初期に活動し24歳で急逝した詩人。また建築家としても足跡を残している。父は立原貞次郎(婿養子)、母は立原登免(通称 光子)。次男として生まれる。先祖には立原翠軒、立原杏所などがいる。学歴は東京帝国大学工学部建築学科卒業。学位(当時は称号)は工学士(東京帝国大学)。戒名は温恭院紫雲道範清信士。墓は東京都谷中の多宝院。賞歴は、辰野賞3年連続受賞、中原中也賞受賞。 (ウィキペディア)
「白紙」
「夜に就て」

辰野 隆   (校正受付

辰野 隆(たつの ゆたか、1888年3月1日 - 1964年2月28日)は、フランス文学者、随筆家。東京帝国大学教授として多くの後進を育てた。 (ウィキペディア)
「鬼才ボオマルシェエ 「泣くが厭さに笑い候」……理髪師フィガロ」
「フィガロの結婚 ――狂おしき一日――」

田中 阿歌麿   (校正受付

田中 阿歌麿(たなか あかまろ、1869年10月30日(明治2年9月26日) - 1944年(昭和19年)12月1日)は日本の地理学者。子爵。日本の陸水学(湖沼学)の先駆け。 (ウィキペディア)
「湖と沼」

田中 王堂   (校正受付

田中 王堂(たなか おうどう、1868年1月24日(慶応3年12月30日) - 1932年(昭和7年)5月9日)は日本の哲学者、評論家。王堂、王堂学人は号で、本名は喜一。早稲田大学文学部教授。 (ウィキペディア)
「福沢諭吉」

田中 早苗   (校正受付

田中 早苗(たなか さなえ) (ウィキペディア)
「誰?」

田辺 竜子   (校正受付

「うもれ木 01 序」

田辺 元   (校正受付

田辺 元(たなべ はじめ、1885年2月3日 - 1962年4月29日)は、日本の哲学者。旧字体で表記した場合は田邊 元となる。西田幾多郎とともに京都学派を代表する思想家。元京都大学教授、京都大学名誉教授。1947年帝国学士院会員、1950年文化勲章受章。 (ウィキペディア)
「禅源私解」
「メメント モリ」

田部 隆次   (校正受付

田部 隆次(たなべ りゅうじ、1875年10月20日 - 1957年12月20日)は、英文学者。富山県の南日家に生まれ、兄に英語教育者の南日恒太郎、弟に、やはり田部家へ養子に入った英文学者の田部重治がいる。村松剛・村松英子の母方の祖父。 (ウィキペディア)
「秋月先生の古稀を祝して」
「テンダネス」
「明治三十四年東京帝国大学文学部卒業生に」

谷 干城   (校正受付

谷 干城(たに たてき / かんじょう、天保8年2月12日(1837年3月18日) - 明治44年(1911年)5月13日)は、幕末から明治にかけて活躍した、土佐藩士、軍人、政治家。通称は申太郎、守部。号は隈山。 (ウィキペディア)
「坂本中岡暗殺事件」
「三十三人連署」

谷崎 潤一郎   (校正受付

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。 (ウィキペディア)
「泉先生と私」
「客ぎらい」
「小僧の夢」
「金色の死」
「細雪 02 中巻」
「細雪 03 下巻」
「「細雪」回顧」
「純粋に「日本的」な「鏡花世界」」
「台所太平記」
「小さな王国」
「人魚の嘆き」
「母を恋うる記」
「阪神見聞録」
「二人の稚児」

谷本 富   (校正受付

谷本 富(たにもと とめり、1867年11月12日(慶応3年10月17日) - 1946年(昭和21年)2月1日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の教育学者。号は梨庵。 (ウィキペディア)
「日本文明史上に於ける弘法大師」

田村 俊子   (校正受付

田村 俊子 (たむら としこ、1884年(明治17年)4月25日 - 1945年(昭和20年)4月16日)は、日本の小説家。別名、佐藤露英、佐藤俊子、本名、佐藤とし。東京府東京市浅草区蔵前町(現在の東京都台東区蔵前)生れ。東京府立第一高等女学校卒業、日本女子大学校国文科中退。代表作は『木乃伊(みいら)の口紅』、『炮烙(ほうらく)の刑』など。官能的な退廃美の世界を描き、人気を得た。没後、田村俊子賞が創設された。 (ウィキペディア)
「あきらめ」
「生血」
「悪寒」
「女作者」
「誓言」
「春の晩」
「魔」
「離魂」

田山 花袋   (校正受付

田山 花袋(たやま かたい、1872年1月22日(明治4年12月13日) - 1930年(昭和5年)5月13日)は、日本の小説家。本名、録弥(ろくや)。群馬県(当時は栃木県)生れ。 (ウィキペディア)
「あひびき」
「新しい生」
「雨の日」
「雨の日に」
「ある新年の小説評」
「ある時に」
「ある時の月評」
「ある時の言葉」
「ある日の印旛沼」
「イギリスの短篇」
「意志と情熱」
「一国の首都」
「『田舎教師』の日記」
「イブセン」
「伊良湖岬」
「印象派」
「羽州山形雑記」
「海をわたる」
「エミール・ゾラ」
「エンジンの響」
「大阪で」
「隠岐がよひの船」
「尾崎紅葉とその作品」
「オシツプ・シユビン」
「男と女」
「女の情と愛と」
「書くと見ると」
「歌集一巻」
「間居」
「漢字のこと」
「きさらぎ」
「北九州の一角」
「狭斜語」
「草の実一つ二つ」
「黒猫」
「黒猫」
「芸術家の心」
「月明夜々」
「娟々細々」
「現実」
「現代作家の苦悶」
「現代と旋回軸」
「古駅」
「心の絵」
「心の階段」
「心持と書き方」
「個性と類性」
「梧桐一二本」
「孤独と法身」
「西鶴小論」
「歳晩漫筆」
「作者の心の火」
「作者の言葉」
「雑事」
「山間の旅舎」
「死屍」
「字義の解釈」
「地震の時」
「静かな日」
「自然」
「自然力の去来」
「時代といふこと」
「自他の融合」
「実行と芸術」
「島の唄」
「社会と自己」
「充実した文章」
「主観の色彩」
「樹木と空飛ぶ鳥」
「小説作法 00凡例」
「小説への二つの道」
「情緒」
「象徴派」
「小品二篇」
「初冬閑居」
「初冬の記事」
「心境といふこと」
「神経家の言」
「心中雑談」
「人生のための芸術」
「新聞の批評家」
「身辺雑記」
「迅雷」
「心理の縦断」
「水源を思ふ」
「性の重荷」
「生滅の心理」
「早春」
「素材」
「存在」
「滝田君について」
「卓上語」
「脱却の工夫」
「田中喜一氏の『泡鳴論』」
「谷合の碧い空」
「旅から帰つて」
「玉野川の渓谷」
「男女の仲 ――無想庵の「Cocu の歎き」――」
「短篇」
「知多の野間で」
「中秋の頃」
「通俗小説」
「『土』の作者」
「椿 序」
「踏査」
「動的芸術」
「都会の夏と田舎の夏」
「毒と薬 序」
「『徒労』の作者」
「夏」
「名張少女」
「庭の木犀」
「野菊」
「『野の花』序」
「野の花を」
「墓の上に墓」
「白紙」
「バザンの小説」
「花二三ヶ所」
「春」
「春雨にぬれた旅」
「晩秋の頃」
「ひとつの芽」
「批評」
「批評的精神を難ず」
「美文作法 00凡例」
「描写と説明」
「二葉亭四迷君を思ふ」
「『蒲団』を書いた頃」
「フランスとロシア」
「ブルジエエの心理描写」
「ブルジエエの短篇」
「フレツシといふこと」
「フロオベルとモウパツサン」
「分析」
「文壇一夕話」
「文壇の潮流」
「北京の一夜」
「ペチヨリンとゲザ」
「偏奇怪僻の人物」
「砲弾」
「泡鳴氏の耽溺」
「ボスサン!」
「ホルツ、シユラアフの『死』」
「本能」
「本の装釘など」
「正宗君について」
「『マダム・ボワリーの故郷』」
「自からを信ぜよ」
「『水野仙子集』と其他」
「娘」
「明治文学の概観」
「メツキ」
「モウタアの輪」
「モウパツサンの憂愁」
「最も感興を惹いた山水」
「耶馬渓と長門峡」
「山のホテル」
「浴室」
「欲望と理想」
「義朝の通つた道」
「代々木野」
「ルウドウイツヒ、ガンクホーヘル」
「恋愛漫筆」
「恋愛夜話」

田山 録弥   (校正受付

「あひびき」
「新しい生」
「雨の日」
「雨の日に」
「ある新年の小説評」
「ある時に」
「ある時の月評」
「ある時の言葉」
「ある日の印旛沼」
「イギリスの短篇」
「意志と情熱」
「一国の首都」
「『田舎教師』の日記」
「イブセン」
「伊良湖岬」
「印象派」
「羽州山形雑記」
「海をわたる」
「エミール・ゾラ」
「エンジンの響」
「大阪で」
「隠岐がよひの船」
「尾崎紅葉とその作品」
「オシツプ・シユビン」
「男と女」
「女の情と愛と」
「書くと見ると」
「歌集一巻」
「間居」
「漢字のこと」
「きさらぎ」
「北九州の一角」
「狭斜語」
「草の実一つ二つ」
「黒猫」
「黒猫」
「芸術家の心」
「月明夜々」
「娟々細々」
「現実」
「現代作家の苦悶」
「現代と旋回軸」
「古駅」
「心の絵」
「心の階段」
「心持と書き方」
「個性と類性」
「梧桐一二本」
「孤独と法身」
「西鶴小論」
「歳晩漫筆」
「作者の心の火」
「作者の言葉」
「雑事」
「山間の旅舎」
「死屍」
「字義の解釈」
「地震の時」
「静かな日」
「自然」
「自然力の去来」
「時代といふこと」
「自他の融合」
「実行と芸術」
「島の唄」
「社会と自己」
「充実した文章」
「主観の色彩」
「樹木と空飛ぶ鳥」
「小説作法 00凡例」
「小説への二つの道」
「情緒」
「象徴派」
「小品二篇」
「初冬閑居」
「初冬の記事」
「心境といふこと」
「神経家の言」
「心中雑談」
「人生のための芸術」
「新聞の批評家」
「身辺雑記」
「迅雷」
「心理の縦断」
「水源を思ふ」
「性の重荷」
「生滅の心理」
「早春」
「素材」
「存在」
「滝田君について」
「卓上語」
「脱却の工夫」
「田中喜一氏の『泡鳴論』」
「谷合の碧い空」
「旅から帰つて」
「玉野川の渓谷」
「男女の仲 ――無想庵の「Cocu の歎き」――」
「短篇」
「知多の野間で」
「中秋の頃」
「通俗小説」
「『土』の作者」
「椿 序」
「踏査」
「動的芸術」
「都会の夏と田舎の夏」
「毒と薬 序」
「『徒労』の作者」
「夏」
「名張少女」
「庭の木犀」
「野菊」
「『野の花』序」
「野の花を」
「墓の上に墓」
「白紙」
「バザンの小説」
「花二三ヶ所」
「春」
「春雨にぬれた旅」
「晩秋の頃」
「ひとつの芽」
「批評」
「批評的精神を難ず」
「美文作法 00凡例」
「描写と説明」
「二葉亭四迷君を思ふ」
「『蒲団』を書いた頃」
「フランスとロシア」
「ブルジエエの心理描写」
「ブルジエエの短篇」
「フレツシといふこと」
「フロオベルとモウパツサン」
「分析」
「文壇一夕話」
「文壇の潮流」
「北京の一夜」
「ペチヨリンとゲザ」
「偏奇怪僻の人物」
「砲弾」
「泡鳴氏の耽溺」
「ボスサン!」
「ホルツ、シユラアフの『死』」
「本能」
「本の装釘など」
「正宗君について」
「『マダム・ボワリーの故郷』」
「自からを信ぜよ」
「『水野仙子集』と其他」
「娘」
「明治文学の概観」
「メツキ」
「モウタアの輪」
「モウパツサンの憂愁」
「最も感興を惹いた山水」
「耶馬渓と長門峡」
「山のホテル」
「浴室」
「欲望と理想」
「義朝の通つた道」
「代々木野」
「ルウドウイツヒ、ガンクホーヘル」
「恋愛漫筆」
「恋愛夜話」

チェーホフ アントン   (校正受付

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(ロシア語Антон Павлович Чехов:アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ/ラテン文字(英文表記)Anton Pavlovich Chekhov、1860年1月29日・タガンログ - 1904年7月15日・バーデンワイラー)は、ロシアを代表する劇作家であり、多くの優れた短編を遺した小説家。 (ウィキペディア)
「三人姉妹 ――戯曲 四幕――」

筑摩書房編集部    (校正受付

「単騎遠征」
「単騎遠征」

鄭 芝溶   (校正受付

鄭芝溶(チョン・ジヨン、1902年陰暦5月15日 - 1950年9月25日)は朝鮮の詩人。1930年代を代表する詩人であり、同世代と後輩達に大きな影響を与えた。鄭の詩は異国情緒、伝統的郷土情緒、そしてカトリックに依拠する宗教性の3つの傾向を持つ。 (ウィキペディア)
「赤い手」
「馬 1」
「馬 2」
「馬について」
「海 」
「海 2」
「海 1」
「玉流洞」
「帰り路」
「かっふぇ・ふらんす」
「悲しき印象画」
「甲板の上」
「郷愁の青馬車」
「金ぼたんの哀唱」
「草の上」
「九城洞」
「湖面」
「酒場の夕べ」
「初春の朝」
「真紅な汽関車」
「新羅の柘榴」
「旅の朝」
「朝餐」
「長壽山」
「躑躅」
「てがみひとつ」
「遠いレール」
「ながれぼし」
「瀑布」
「橋の上」
「春三月の作文」
「毘盧峰」
「笛」
「冬籠り」
「白鹿潭」
「幌馬車」
「まひる」
「まひる」
「みなし子の夢」
「耳」
「夜半」
「雪」

津田 仙   (校正受付

津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) - 明治41年(1908年)4月24日)は、日本の農学者、キリスト者。学農社創立者。青山学院大学・筑波大学附属盲学校の創立に関わる。また、日本で最初に通信販売を行った人物でもある。同志社大学の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直とともに、“キリスト教界の三傑”とうたわれた。明六社会員。娘に、後に津田塾大学創設者となる津田梅子、サンフランシスコで日本語新聞「日米新聞」を発行し日系人社会のリーダー的存在だった安孫子久太郎と結婚しアメリカに移住した安孫子余奈子がいる。 (ウィキペディア)
「禾花媒助法之説」

津田 左右吉   (校正受付

津田 左右吉(つだ そうきち、1873年(明治6年)10月3日 - 1961年(昭和36年)12月4日)は、20世紀前半の日本史学者である。『日本書紀』『古事記』を史料批判の観点から研究したことで知られる。栄典は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章。 (ウィキペディア)
「外国語の乱用と日本語のロオマ字書き」
「敬語について」
「固有名詞のかながき」
「自由といふ語の用例」
「「新かなづかひ」について」
「「津田左右吉全集 第二十一巻」あとがき」
「「津田左右吉全集 第二十一巻」まへがき」
「日本語に多いいひかたの一つ」
「日本語の現状を憂ふ」
「万葉集の第一歌」
「訳語から起る誤解」

土田 耕平   (校正受付

土田 耕平(つちだ こうへい、1895年(明治28年)6月10日 - 1940年(昭和15年)8月12日)は、日本の歌人、童話作家。 (ウィキペディア)
「お母さんの思い出」
「峠」
「時男さんのこと」
「守り柿」

壺井 栄   (校正受付

壺井 栄(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は小説家・詩人。主に一般向小説および児童文学(童話)を主領域に活躍した作家で、戦後反戦文学の名作として後に映画化された『二十四の瞳』の作者として知られる。香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)出身。夫は詩人の壺井繁治。 (ウィキペディア)
「柿の木のある家」
「大根の葉」

坪内 逍遥   (校正受付

坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙、1859年6月22日(安政6年5月22日) - 1935年(昭和10年)2月28日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。小説家としては主に明治時代に活躍した。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。本名は坪内 雄蔵(つぼうち ゆうぞう)。別号に「朧ろ月夜に如く(しく)ものぞなき」の古歌にちなんだ春のやおぼろ(春廼屋朧)、春のや主人など。俳句も詠んだ。 (ウィキペディア)
「心の故郷を択べ ――「学生」の為めに――」
「小説神髄」
「ロミオとヂュリエット 02 緒言」

坪内 雄蔵   (校正受付

坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙、1859年6月22日(安政6年5月22日) - 1935年(昭和10年)2月28日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。小説家としては主に明治時代に活躍した。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。本名は坪内 雄蔵(つぼうち ゆうぞう)。別号に「朧ろ月夜に如く(しく)ものぞなき」の古歌にちなんだ春のやおぼろ(春廼屋朧)、春のや主人など。俳句も詠んだ。 (ウィキペディア)
「現代小説を読む時の心得 ――特に「学生」の為に――」
「心の故郷を択べ ――「学生」の為めに――」

坪田 宏   (校正受付

「鐘は鳴らず」
「茶色の上着」
「二つの遺書」
「宝石の中の殺人」
「緑のペンキ罐」

鶴 彬   (校正受付

鶴 彬(つる あきら、1909年1月1日(戸籍上、実際には前年12月といわれている) - 1938年9月14日)は、日本のプロレタリア文学の影響を強く受けた代表的な反戦川柳作家。石川県河北郡高松町(現かほく市)生まれ。本名、喜多 一二(きた かつじ)。佐高信は鶴を「『川柳界の小林多喜二』と言われた」と自著で紹介している。また、その死の唐突さのため、官憲による赤痢菌注射説が噂されたと指摘している。具体的な出典は述べられていない。 (ウィキペディア)
「鶴彬全詩」
「鶴彬全川柳」
「鶴彬全評論」

ツルゲーネフ イワン   (校正受付

イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ(ロシア語: Ивáн Серге́евич Турге́нев、1818年11月9日(ユリウス暦:10月28日) - 1883年9月3日(ユリウス暦:8月22日))は、フョードル・ドストエフスキー、レフ・トルストイと並んで、19世紀ロシア文学を代表する文豪である。ロシア帝国の貴族。 (ウィキペディア)
「猟人日記」

ディケンズ チャールズ   (校正受付

チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens、 1812年2月7日 - 1870年6月9日)は、ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家である。主に下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品を発表した。 (ウィキペディア)
「クリスマス・カロル 01 クリスマス・カロル」

土井 晩翠   (校正受付

土井 晩翠(どい ばんすい、1871年12月5日(明治4年10月23日) - 1952年(昭和27年)10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。姓は元は「つちい」だったが昭和初期に改称した。男性的な漢詩調の詩風で、女性的な詩風の島崎藤村と並んで「藤晩時代」と称された。また、瀧廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』の作詞者としても知られ、校歌・寮歌なども多く作詞した。戦陣訓の文校正でも知られる。英文学者としては、ホメロス、カーライル、バイロンなどを翻訳している。 (ウィキペディア)
「オヂュッセーア」
「暁鐘」

土井 八枝   (校正受付

「小島の春 05 跋」

濤音    (校正受付

「うし」
「かめ」

時枝 誠記   (校正受付

時枝 誠記(ときえだ もとき、1900年12月6日 - 1967年10月27日)は、日本の国語学者。文学博士。 (ウィキペディア)
「国語学と国語教育」
「国語学と国語教育との交渉 ――言語過程説の立場における――」

徳川 義恭   (校正受付

徳川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月18日 - 1949年(昭和24年)12月12日)は日本の美術研究者、装幀家。 (ウィキペディア)
「光琳の香包 (巻頭グラビア参照)」
「新発見の銀閣寺厨子絵」
「安田靭彦氏と安井・梅原氏の絵を語る」

徳田 秋声   (校正受付

徳田 秋声(德田 秋聲、とくだ しゅうせい、男性、1872年2月1日(明治4年12月23日) - 1943年(昭和18年)11月18日)は、石川県金沢市生まれの小説家である。本名は末雄(すえお)。 (ウィキペディア)
「青い風」
「雨みち」
「或女の死」
「或些やかな耻」
「或る牾かしさ」
「ある夜」
「威嚇」
「稲妻」
「宇治の一日」
「「梅」を買ふ」
「売り買ひ」
「遠足」
「屋に迷ふ」
「お蝶夫人」
「折鞄」
「会食」
「牡蠣雑炊と芋棒」
「籠の小鳥」
「蟹」
「彼女の周囲」
「彼の失策」
「乾いた唇」
「感傷的の事」
「菊と竹」
「きのこ」
「客」
「給仕女」
「旧友」
「京子の身のうへ」
「共鳴」
「霧」
「金庫小話」
「草いきれ」
「曇つた頭」
「郊外の聖」
「好奇心」
「香奠を忘れる」
「彷徨へる」
「閾」
「質草」
「質物」
「歯痛」
「背負揚」
「小婢」
「女流作家」
「白い足袋の思出」
「神経衰弱」
「贅沢」
「倒れた花瓶」
「妥協」
「恥辱」
「低気圧」
「電柱」
「時は過ぎたり」
「妬心」
「途中」
「浪の音」
「羽織」
「墓」
「芭蕉と歯朶」
「破談」
「鼻」
「花咲く頃」
「微笑の渦」
「一茎の花」
「病室」
「病人騒ぎ」
「フアイヤ・ガン」
「復讐」
「二つの失敗」
「二人の病人」
「ふる年」
「湖のほとり」
「水ぎわの家」
「無智の愛」
「物堅い事」
「余震の一夜」
「リボン」
「老苦」

徳富 蘇峰   (校正受付

徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 (ウィキペディア)
「静思余録」

徳冨 蘆花   (校正受付

徳冨 蘆花(とくとみ ろか、1868年12月8日(明治元年10月25日) - 1927年(昭和2年)9月18日)は、日本の小説家。「徳冨」の表記にこだわり、各種の文学事典、文学館、記念公園などは「冨」の字を採用している。本名は徳富健次郎(とくとみ けんじろう)。 (ウィキペディア)
「思い出の記」

徳永 直   (校正受付

徳永 直(とくなが すなお、1899年(明治32年)1月20日 - 1958年(昭和33年)2月15日)は、熊本県飽託郡花園村(現熊本市西区)生まれの小説家。 (ウィキペディア)
「あまり者」
「女の産地」
「風」
「黒い輪」
「工場新聞」
「最初の記憶」
「戦争雑記」
「日本人サトウ」
「八年制」
「彼岸」
「飛行機小僧」
「冬枯れ」

ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ   (校正受付

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(ロシア語: Фёдор Миха́йлович Достое́вский; IPA: 、1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕)は、ロシアの小説家・思想家である。代表作は『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』など。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。 (ウィキペディア)
「罪と罰」

戸田 豊子   (校正受付

「歩む」
「鋳物工場」

朝永 三十郎   (校正受付

朝永 三十郎(ともなが さんじゅうろう、明治4年2月5日(1871年3月25日) - 昭和26年(1951年)9月18日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授(西洋哲学)。京都学派を代表する人物の一人。子に物理学者の朝永振一郎。 (ウィキペディア)
「一般哲学史」

豊島 与志雄   (校正受付

豊島 与志雄(とよしま よしお、1890年(明治23年)11月27日 - 1955年(昭和30年)6月18日)は、日本の小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者。法政大学名誉教授。明治大学文学部教授もつとめた。日本芸術院会員。 (ウィキペディア)
「過渡人」

豊田 喜一郎   (校正受付

豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、1894年6月11日 - 1952年3月27日)は、日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者。 (ウィキペディア)
「会社改革の方針」
「挙母工場へ移転と新製品に就て皆様へ御願ひ」

鳥居 竜蔵   (校正受付

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 (ウィキペディア)
「日本周囲の原始宗教」

トルストイ レオ   (校正受付

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露: Лев Николаевич Толстой, ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。 (ウィキペディア)
「クロイツェル・ソナタ 01 クロイツェル・ソナタ」

中 勘助   (校正受付

中 勘助(なか かんすけ、1885年(明治18年)5月22日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は東京出身の作家・詩人である。 (ウィキペディア)
「結婚」
「提婆達多」
「菩提樹の蔭」

永井 荷風   (校正受付

永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。号に金阜山人(きんぷさんじん)・断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。 (ウィキペディア)
「吾妻橋」
「おかめ笹」
「枯葉の記」
「勲章」
「十年振 一名京都紀行」
「人妻」
「枇杷の花」
「冬の夜がたり」
「来訪者」

永井 隆   (校正受付

永井 隆(ながい たかし) (ウィキペディア)
「亡びぬものを」

中江 兆民   (校正受付

中江 兆民(なかえ ちょうみん、弘化4年11月1日(1847年12月8日) - 明治34年(1901年)12月13日)は、日本の思想家、ジャーナリスト、政治家(衆議院議員)。フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、東洋のルソーと評される。衆議院当選1回、第1回衆議院議員総選挙当選者の一人。兆民は号で、「億兆の民」の意味。「秋水」とも名乗り、弟子の幸徳秋水(伝次郎)に譲り渡している。また、他の号に青陵、木強生がある。名は篤介(とくすけ、篤助)。幼名は竹馬。 (ウィキペディア)
「『東洋自由新聞』第一号社説」

長岡 半太郎   (校正受付

長岡 半太郎(ながおか はんたろう、1865年8月19日(慶応元年6月28日) - 1950年(昭和25年)12月11日)は、日本の物理学者。土星型原子モデル提唱などの学問的業績を残した。また、東京帝国大学教授として多くの弟子を指導し、初代大阪帝国大学総長や帝国学士院院長などの要職も歴任した。1937年(昭和12年)、第一回文化勲章受章。正三位勲一等旭日大綬章追贈。 (ウィキペディア)
「基礎研究とその応用」
「綜合研究の必要」
「J・J・トムソン伝」
「ラザフォード卿を憶う」

仲木 貞一   (校正受付

劇作家、編集者 (ウィキペディア)
「真間の手児奈」

中島 徳蔵   (校正受付

中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日(1864年3月9日) - 昭和15年(1940年)5月31日)は、日本の教育者。 (ウィキペディア)
「巽軒先生喜寿の祝辞」

長田 幹彦   (校正受付

長田 幹彦(ながた みきひこ、1887年3月1日 - 1964年5月6日)は、日本の小説家、作詞家。 (ウィキペディア)
「祇園」

中野 鈴子   (校正受付

中野 鈴子(なかの すずこ、1906年1月24日 - 1958年1月5日)は、日本の詩人。 (ウィキペディア)
「一家」
「歓喜」
「飢餓の中から」
「小林多喜二のお母さん」
「月は中天に」
「途中で」
「花もわたしを知らない 中野鈴子詩集」
「母の叫び」
「母の手紙」
「方向」
「わたしの正月」

中原 中也   (校正受付

中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。 (ウィキペディア)
「秋の日曜」
「いちじくの葉」
「(過程に興味が存するばかりです)」
「(仮定はないぞよ!)」
「(汽車が聞える)」
「倦怠者の持つ意志」
「倦怠に握られた男」
「(58号の電車で女郎買に行つた男が)」
「古代土器の印象」
「(酒)」
「(酒は誰でも酔はす)」
「地極の天使」
「自滅」
「情慾」
「初夏」
「想像力の悲歌」
「(題を附けるのが無理です)」
「(ダダイストが大砲だのに)」
「ダダ音楽の歌詞」
「(ダツク ドツク ダクン)」
「旅」
「(ツツケンドンに)」
「(テンピにかけて)」
「(成程)」
「(何と物酷いのです)」
「初恋」
「(バルザック)」
「春の夕暮」
「(不随意筋のケンクワ)」
「(古る摺れた)」
「(頁 頁 頁)」
「迷つてゐます」
「(名詞の扱ひに)」
「(最も純粋に意地悪い奴)」
「我が祈り 小林秀雄に」

中村 敬宇   (校正受付

中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日(天保3年5月26日) - 1891年(明治24年)6月7日)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。英学塾・同人社の創立者で、東京女子師範学校摂理、東京大学文学部教授、女子高等師範学校長を歴任した。通称・敬太郎、敬輔。号は敬宇。 (ウィキペディア)
「支那不可侮論」
「賞罰毀誉論」
「人民の性質を改造する説 明治八年二月十六日演説」
「善良なる母を造る説 明治八年三月十六日演説」

中村 清二   (校正受付

中村 清二(なかむら せいじ、明治2年9月24日(1869年10月28日) - 1960年(昭和35年)7月18日)は日本の物理学者。 (ウィキペディア)
「「地震の國」序」

中村 地平   (校正受付

中村 地平(なかむら ちへい、1908年(明治41年)2月7日 - 1963年(昭和38年)2月26日)は宮崎県出身の小説家、銀行家。宮崎県立図書館長、宮崎相互銀行(現宮崎太陽銀行)社長。自らが憧れた南方の風土で培われた南方文学を提唱した。筆名であり、本名は中村治兵衛。 (ウィキペディア)
「宮崎の町」

中谷 宇吉郎   (校正受付

中谷 宇吉郎(なかや うきちろう、1900年(明治33年)7月4日 - 1962年(昭和37年)4月11日)は、日本の物理学者、随筆家。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は理学博士(京都帝国大学・1931年)。 (ウィキペディア)
「赤倉」
「アメリカの沙漠」
「アメリカの旅」
「異魚」
「兎の耳」
「宇宙旅行の科学」
「映画を作る話」
「永久凍土地帯」
「英国日食班の印象」
「Sの話」
「海底の散歩」
「科学と国境」
「科学の芽生え」
「雷」
「吉右衛門と神鳴」
「極北の氷の下の町」
「極北の神秘・氷島」
「雑魚図譜」
「雑記」
「札幌における寺田先生」
「『寒い国』」
「塩の風趣」
「詩人への註文」
「身辺雑記」
「生活の実験」
「先生を囲る話」
「続先生を囲る話」
「大東亜戦争と科学技術者」
「大謀網」
「ツンドラへの旅」
「低温室だより」
「凍上の話」
「馴鹿橇」
「虹」
「ネバダ通信」
「文化史上の寅彦先生」
「壁画摸写」
「亡び行く国土」
「牧野伸顕伯の思い出」
「満洲通信」
「雪協議会の報告」
「雪後記」
「雪、霜、氷」

中山 啓   (校正受付

「地球を弔ふ 中山忠直詩集」

中山 省三郎   (校正受付

中山 省三郎(なかやま しょうざぶろう、1904年1月28日 - 1947年5月30日)は、日本の詩人、ロシア文学翻訳家。 (ウィキペディア)
「猟人日記」

中山 忠直   (校正受付

中山 忠直(なかやま ただなお、1895年4月26日 - 1957年10月2日)は、日本の詩人、著作家。宇宙のイメージを盛り込んだ詩作品などによってサイエンス・フィクション (SF) に連なる先駆的なものと評価されている。マルクス主義を経て、勤皇社会主義と称する極右思想に拠り、さらに日本人=ユダヤ人同祖説に立って天皇はユダヤ人の血を引くと論じて著書の発禁処分を受けた。「皇漢医学」の名称の下に漢方医としても活動し、製薬事業を興すとともに、関連する著作も書いた。筆名として、中山 啓を用いた時期がある。 (ウィキペディア)
「地球を弔ふ 中山忠直詩集」

中山 太郎   (校正受付

中山 太郎(なかやま たろう、1924年(大正13年)8月27日 - )は、日本の政治家、医師。勲等は勲一等旭日大綬章、学位は医学博士(大阪医科大学)。 (ウィキペディア)
「安達ヶ原の鬼婆々異考」

長与 善郎   (校正受付

長與 善郎(ながよ よしろう、新字体:長与 善郎、1888年(明治21年)8月6日 - 1961年(昭和36年)10月29日)は日本の作家、劇作家、評論家。人道主義的な作風で知られた。 (ウィキペディア)
「青銅の基督 ――一名南蛮鋳物師の死――」
「竹沢先生と云ふ人」

半井 桃水   (校正受付

半井 桃水(なからい とうすい、1861年1月12日(万延元年12月2日) - 1926年(大正15年)11月21日)は、日本の小説家。 (ウィキペディア)
「犬斬り小太郎」
「かるた会」

夏目 漱石   (校正受付

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。 (ウィキペディア)
「京に着ける夕」

成沢 玲川   (校正受付

「ラヂオ閑話」

新美 南吉   (校正受付

新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 - 1943年3月22日)は、日本の児童文学作家。本名は新美正八(旧姓:渡邊)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。 (ウィキペディア)
「空気ポンプ」
「草」
「決闘」
「鳥山鳥右エ門」
「百姓の足、坊さんの足」
「貧乏な少年の話」
「耳」

西 周   (校正受付

西周(せいしゅう) (ウィキペディア)
「内地旅行 十一月十六日演説」
「内地旅行 十一月十六日演説」

西田 幾多郎   (校正受付

西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本を代表する哲学者である。京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。 (ウィキペディア)
「井上先生」

日本聖書協会    (校正受付

一般財団法人日本聖書協会(にほんせいしょきょうかい)は、主に日本語訳聖書などを出版する聖書協会である。プロテスタント系であるが、ローマ・カトリックとも共同作業を行うほか、正教会にも聖書を頒布している。所在地は東京都中央区銀座四丁目。聖書協会世界連盟加盟。 (ウィキペディア)
「新約聖書 1954年改訳」

額田 六福   (校正受付

額田 六福(ぬかだ ろっぷく、明治23年(1890年)10月2日 - 昭和23年(1948年)12月21日)は、劇作家・大衆小説作家。岡本綺堂の高弟。翻訳家、額田やえ子の父。 (ウィキペディア)
「解説 趣味を通じての先生」
「静と義経」
「真如」
「天一坊」
「冬木心中」

野上 彰   (校正受付

野上 彰(のがみ あきら) (ウィキペディア)
「幼き歌」
「前奏曲」

野上 豊一郎   (校正受付

野上豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。臼川(きゅうせん)と号する。法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。 (ウィキペディア)
「ハルツの旅」
「ロードス」

信時 潔   (校正受付

信時 潔(のぶとき きよし、1887年(明治20年)12月29日 - 1965年(昭和40年)8月1日)は、大正・昭和時代日本の作曲家、音楽学者、チェロ奏者。大阪市出身。 (ウィキペディア)
「歌詞とその曲」
「望ましい音楽」

昇 曙夢   (校正受付

昇 曙夢(のぼり しょむ、1878年7月17日 - 1958年11月22日)は、ロシア文学者。正教会の信徒であり、ニコライ・カサートキンの門下生の一人としても知られる。晩年には奄美群島の本土復帰運動に尽力した。 (ウィキペディア)
「検察官」

野村 あらえびす   (校正受付

野村 胡堂(のむら こどう、1882年10月15日 - 1963年4月14日)は、日本の小説家・作家・音楽評論家。音楽評論家としての筆名は野村あらえびす。『銭形平次 捕物控』の作者として知られる。本名:野村 長一(のむら おさかず)、娘は作家の松田瓊子。 (ウィキペディア)
「名曲決定盤」

野村 兼太郎   (校正受付

野村 兼太郎(のむら かねたろう、1896年3月20日 - 1960年6月22日)は、日本の経済学者。経済学博士、経済思想史研究者(江戸時代・経世論)、日本学士院会員。国文学研究資料館設立発起人。他、東洋貨幣協会名誉会員、社会経済史学会を創立し代表理事等を歴任。 (ウィキペディア)
「文書の蒐集」

野村 胡堂   (校正受付

野村 胡堂(のむら こどう、1882年10月15日 - 1963年4月14日)は、日本の小説家・作家・音楽評論家。音楽評論家としての筆名は野村あらえびす。『銭形平次 捕物控』の作者として知られる。本名:野村 長一(のむら おさかず)、娘は作家の松田瓊子。 (ウィキペディア)
「奇談クラブ 01 第一話 紅唐紙」
「奇談クラブ 02 第二話 魔の笛」
「奇談クラブ 03 第三話 湖心亭」
「奇談クラブ 04 第四話 女性の秘密」
「奇談クラブ 05 第五話 鏨地獄」
「新奇談クラブ 01 第一夜 初夜を盗む」
「新奇談クラブ 02 第二夜 匂う踊り子」
「新奇談クラブ 03 第三夜 お化け若衆」
「新奇談クラブ 04 第四夜 恋の不在証明」
「新奇談クラブ 05 第五夜 悪魔の反魂香」
「新奇談クラブ 06 第六夜 人形の獄門」
「新奇談クラブ 07 第七夜 歓楽の夢魔」
「新奇談クラブ 08 第八夜 蛇使いの娘」
「新奇談クラブ 09 第九夜 馬太郎の幸運」
「新奇談クラブ 10 第十夜 笑う悪魔」
「新奇談クラブ 11 第十一夜 貞操帯」
「新奇談クラブ 12 第十二夜 お蓮の恋」
「新奇談クラブ 13 番外 恋の不老不死」
「銭形平次捕物控 005 幽霊にされた女」
「銭形平次捕物控 012 殺され半蔵」
「銭形平次捕物控 017 赤い紐」
「銭形平次捕物控 018 富籤政談」
「銭形平次捕物控 019 永楽銭の謎」
「銭形平次捕物控 021 雪の精」
「銭形平次捕物控 026 綾吉殺し」
「銭形平次捕物控 029 江戸阿呆宮」
「銭形平次捕物控 033 血潮の浴槽」
「銭形平次捕物控 036 八人芸の女」
「銭形平次捕物控 039 赤い痣」
「銭形平次捕物控 041 三千両異変」
「銭形平次捕物控 044 お民の死」
「銭形平次捕物控 049 招く骸骨」
「銭形平次捕物控 052 二服の薬」
「銭形平次捕物控 053 小唄お政」
「銭形平次捕物控 055 路地の小判」
「銭形平次捕物控 058 身投げする女」
「銭形平次捕物控 061 雪の足跡」
「銭形平次捕物控 067 欄干の死骸」
「銭形平次捕物控 069 金の鯉」
「銭形平次捕物控 070 二本の脇差」
「銭形平次捕物控 074 二度死んだ男」
「銭形平次捕物控 084 お染の歎き」
「銭形平次捕物控 085 瓢箪供養」
「銭形平次捕物控 086 縁結び」
「銭形平次捕物控 087 敵討果てて」
「銭形平次捕物控 088 不死の霊薬」
「銭形平次捕物控 089 百四十四夜」
「銭形平次捕物控 092 金の茶釜」
「銭形平次捕物控 093 百物語」
「銭形平次捕物控 094 死相の女」
「銭形平次捕物控 095 南蛮仏」
「銭形平次捕物控 096 忍術指南」
「銭形平次捕物控 131 駕籠の行方」
「銭形平次捕物控 134 仏師の娘」
「銭形平次捕物控 168 詭計の豆」
「銭形平次捕物控 182 尼が紅」
「銭形平次捕物控 200 死骸の花嫁」
「銭形平次捕物控 211 遠眼鏡の殿様」
「銭形平次捕物控 227 怪盗系図」
「銭形平次捕物控 235 江戸の恋人達」
「銭形平次捕物控 240 娘と黒法師」
「銭形平次捕物控 241 人違ひ殺人」
「銭形平次捕物控 244 凧の糸目」
「銭形平次捕物控 282 密室」
「銭形平次捕物控 313 焔の舞」
「銭形平次捕物控 336 小判地獄」
「名曲決定盤」

芳賀 矢一   (校正受付

芳賀 矢一(はが やいち、慶応3年5月14日(1867年6月16日) - 昭和2年(1927年)2月6日)は、日本の国文学者。帝国学士院会員。 (ウィキペディア)
「奉悼歌」

萩原 恭次郎   (校正受付

萩原 恭次郎(はぎわら きょうじろう、1899年(明治32年)5月23日 - 1938年(昭和13年)11月22日)は、大正・昭和時代の詩人。大正末期の芸術革命の先頭に立ち、はじめはダダイストとして活動したが、のちアナーキズム運動に傾倒。若くしてこの世を去った。詩集『死刑宣告』、詩篇「もうろくずきん」「亜細亜に巨人あり」などの作品で知られる。本姓は金井(養子になったことによる)。 (ウィキペディア)
「朝の一景」
「新聞を買ひに」
「もうろくづきん ――おやぢが家出をする。出稼ぎとは話が好すぎる――」
「鷲の歌」

萩原 朔太郎   (校正受付

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。 (ウィキペディア)
「非論理的性格の悲哀」

ハクスリー トマス・ヘンリー   (校正受付

トマス・ヘンリー・ハクスリー(英: Thomas Henry Huxley、1825年5月4日 - 1895年6月29日)は、イギリスの生物学者。姓はハックスリー、ハクスレーと表記されることもある。「ダーウィンの番犬(ブルドッグ)」の異名で知られ、チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護した。 (ウィキペディア)
「職業を選ぼうとする人への手紙」

橋本 進吉   (校正受付

橋本 進吉(はしもと しんきち、1882年12月24日 - 1945年1月30日)は、日本の言語学者・国語学者。 (ウィキペディア)
「国語と伝統」

橋本 多佳子   (校正受付

橋本 多佳子(はしもと たかこ、1899年(明治32年)1月15日 - 1963年(昭和38年)5月29日)は、日本の俳人。本名、多満(たま)。旧姓、山谷。 (ウィキペディア)
「紅絲」

長谷川 時雨   (校正受付

長谷川 時雨(はせがわ しぐれ、1879年(明治12年)10月1日 - 1941年(昭和16年)8月22日)は、劇作家・小説家。雑誌や新聞を発行して、女性の地位向上の運動を率いた。本名、長谷川ヤス。画家・随筆家の長谷川春子は末妹。 (ウィキペディア)
「秋が深い(古い日記)」
「朝露」
「ある日の日記(古い日記)」
「粟」
「石のをんな」
「一銭のバナナ」
「一杯の茶(古い日記)」
「犬」
「薄ずみいろ」
「運不運」
「遠雷」
「お金の趣味」
「落葉を拾って」
「夏日」
「蛙の声(古い日記)」
「起死の薬」
「きのふけふ」
「着物随筆」
「今日封きり」
「草の実(古い日記)」
「雲」
「懈怠比丘」
「氷の雨」
「心はずかしい日」
「ごはんつぶ」
「五分前の落書」
「今日」
「十月」
「春雪」
「初夏の感触」
「食後」
「食卓」
「女性とジャーナリズム」
「生活の姿」
「草魚」
「草魚 巻頭言」
「大正十三年の秋」
「坪内先生追悼」
「手児奈」
「夏の夕べ(古い日記)」
「鼠」
「墓」
「箱根山展望」
「日盛り」
「微量の毒薬」
「梟との対話」
「万寿山の春」
「水」
「昔男との対話」
「明治の女風俗」
「明治風俗」
「ものほし棹」
「桃 あとがき」
「山の人たち」
「幽草」
「「淀君」を読んで」
「夜長」
「涼味」
「恋慕調」

長谷川 修二   (校正受付

長谷川 修二(はせがわ しゅうじ、1903年 - 1964年)は、翻訳家。本名・楢原茂二。 (ウィキペディア)
「ボウ町の怪事件」

長谷川 伸   (校正受付

長谷川 伸(はせがわ しん、1884年(明治17年)3月15日 - 1963年(昭和38年)6月11日)は日本の小説家、劇作家である。本名は長谷川 伸二郎(はせがわ しんじろう)。使用した筆名には他にも山野 芋作(やまの いもさく)と長谷川 芋生(はせがわ いもお)があり、またそのほか春風楼、浜の里人、漫々亭、冷々亭、冷々亭主人などを号している(筆名が多いのは新聞記者時代の副業ゆえ名を秘したためである)。 (ウィキペディア)
「荒木又右衛門」
「刺青奇偶」
「勘太郎月の唄 二幕四場」
「沓掛時次郎 三幕十場」
「直八子供旅 二幕七場」
「中山七里 二幕五場」
「日本敵討ち異相」
「人斬り伊太郎」
「股旅新八景」
「まむしのお政」
「名人竿忠」
「雪の渡り鳥 二幕六場」

幡谷 正雄   (校正受付

幡谷 正雄(はたや まさお、1897年1月20日 - 1933年6月17日)は、日本の英文学者。 (ウィキペディア)
「ワァヅワス詩集」
「ワァヅワス詩集 解説」
「ワァヅワス詩集 解題」
「ワァヅワス詩集 序」

八太 舟三   (校正受付

八太 舟三(はった しゅうぞう 1886年(明治19年)12月3日 - 1934年(昭和9年)1月30日)は、日本の思想家、無政府主義者。三重県津市分部町生まれ。 (ウィキペディア)
「経済学か倫理学か クロポトキン著作の真義」
「無政府主義の道徳」

服部 宇之吉   (校正受付

服部 宇之吉(はっとり うのきち、慶応3年4月30日(1867年6月2日) - 昭和14年(1939年)7月11日)は、中国哲学者。東京大学卒。東京帝国大学教授、ハーバード大学教授、東方文化学院院長などを歴任。帝国学士院会員。福島県出身。 (ウィキペディア)
「四書解題」

羽田 亨   (校正受付

羽田 亨(はねだ とおる、1882年(明治15年)5月15日 - 1955年(昭和30年)4月13日)は東洋史学者。京都大学名誉教授。文化勲章受章者。 文学博士(京都帝国大学、1922年)。京都府峰山町(現・京丹後市)生まれ。 (ウィキペディア)
「アレキサンダー三世博物館」
「英京の一隅より」
「書き抜きを捜しながら」
「賢所御神楽の儀」
「最近露都通信」
「聚楽廻り」
「史料蒐集家としての内藤博士」
「隋唐時代の文化」
「東方文化研究所と狩野博士」

馬場 孤蝶   (校正受付

馬場孤蝶(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1940年(昭和15年)6月22日)は、英文学者、評論家、翻訳家、詩人、慶應義塾大学教授。 (ウィキペディア)
「近世風俗雑談 明治の東京」

ハムスン クヌート   (校正受付

クヌート・ハムスン(Knut Hamsun, 1859年8月4日 - 1952年2月19日)は、ノルウェーの小説家。1920年に作品『土の恵み』でノーベル文学賞を受賞した。世界的な名声を得ていたがナチスを支持し続けたため戦後、名誉は失墜した。 (ウィキペディア)
「飢え」

林 芙美子   (校正受付

林 芙美子(はやし ふみこ、1903年(明治36年)12月31日 - 1951年(昭和26年)6月28日)は、日本の小説家。物心ついた小学生時代に貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に、ことに名作がある。「文壇に登場したころは『貧乏を売り物にする素人小説家』、その次は『たった半年間のパリ滞在を売り物にする成り上がり小説家』、そして、日中戦争から太平洋戦争にかけては『軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家』など、いつも批判の的になってきました。しかし、戦後の六年間はちがいました。それは、戦さに打ちのめされた、わたしたち普通の日本人の悲しみを、ただひたすらに書きつづけた六年間でした」と言われるように波瀾万丈だった。 (ウィキペディア)
「あいびき」
「蒼馬を見たり」
「波濤」
「ボルネオ・ダイヤ」
「めかくし鳳凰」
「雪の町」

葉山 嘉樹   (校正受付

葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12日 - 1945年(昭和20年)10月18日)は日本のプロレタリア文学の作家である。福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町)出身。 (ウィキペディア)
「山谿に生くる人々 生きる為に」

原 石鼎   (校正受付

原 石鼎(はら せきてい、1886年3月19日 - 1951年12月20日)は、島根県出身の俳人。高浜虚子に師事、「鹿火屋」を創刊・主宰。大正期の「ホトトギス」を代表する作家の一人で、色彩感覚に優れたみずみずしい作風で一世を風靡した。本名は鼎。初号・鉄鼎。別号・ひぐらし。 (ウィキペディア)
「花影」

原田 義人   (校正受付

原田 義人(はらだ よしと、1918年8月5日 - 1960年8月1日)は、ドイツ文学者。元東京大学教養学部教授。 (ウィキペディア)
「反神話の季節」

范 曄   (校正受付

范 曄(はん よう、398年 - 445年)は、中国魏晋南北朝時代の南朝宋の政治家・文学者・歴史家にして『後漢書』の作者。字は蔚宗。先祖は南陽郡順陽県(現河南省南陽市淅川)の出身であり、会稽郡山陰県(現浙江省紹興市柯橋区)にて出生した。 (ウィキペディア)
「後漢書 皇后記」
「後漢書 光武伝」

ビアス アンブローズ   (校正受付

アンブローズ・ギンネット・ビアス(Ambrose Gwinnett Bierce, 1842年6月24日 - ?)は、アメリカの作家、ジャーナリスト、コラムニスト。代表的な著作に、風刺辞書『悪魔の辞典』、短編小説「アウル・クリーク橋の一事件」がある。人間の本質を冷笑をもって見据え、容赦ない毒舌をふるったことから、「辛辣なビアス (Bitter Bierce) 」と渾名された。 (ウィキペディア)
「ある夏の夜」
「月光の道」
「自分を発見した男」
「ジョン・モートンスンの葬式」
「心理的遭難」
「ステリー・フレミングの幻覚」
「空に浮かぶ騎士」
「ハルピン・フレイザーの死」
「マクスンの作品」

ビガーズ アール・デア   (校正受付

アール・デア・ビガーズ(Earl Derr Biggers、1884年 - 1933年)は、アメリカの推理作家。中国人探偵「チャーリー・チャン」シリーズの作者として知られる。 (ウィキペディア)
「チャーリー・チャンの活躍」

ピクソール マジョリエ ローリー クリスティー   (校正受付

「山頂の灯火」

樋口 一葉   (校正受付

樋口 一葉(ひぐち いちよう、1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家。東京生まれ。本名は夏子、戸籍名は奈津。 (ウィキペディア)
「うもれ木 02 うもれ木」
「大つごもり」
「たけくらべ」
「雪の日」
「ゆく雲」

久生 十蘭   (校正受付

久生 十蘭(ひさお じゅうらん、1902年4月6日 - 1957年10月6日)は日本の小説家、演出家。北海道函館市出身、本名阿部正雄。推理もの、ユーモアもの、歴史もの、現代もの、時代小説、ノンフィクションノベルなど多彩な作品を手掛け、博識と技巧で「多面体作家」「小説の魔術師」と呼ばれた。 (ウィキペディア)
「青髯二百八十三人の妻」
「悪の花束」
「うすゆき抄」
「泡沫の記(ルウドイヒ二世と人工楽園)」
「海難記」
「姦(かしまし)」
「川波」
「雲の小径」
「湖畔」
「重吉漂流紀聞」
「白雪姫」
「玉取物語」
「地底獣国」
「蝶の絵」
「手紙」
「ノア」
「ハムレット」
「春の山」
「ひどい煙」
「フランス伯N・B」
「ボニン島物語」
「無月物語」
「無惨やな」
「喪服」
「雪間」
「呂宋の壺」
「淪落の皇女の覚書」
「我が家の楽園」

火野 葦平   (校正受付

火野 葦平(ひの あしへい、1907年(明治40年)1月25日 - 1960年(昭和35年)1月24日)は、昭和戦前・戦後期の小説家。本名玉井 勝則。 (ウィキペディア)
「税金のない国モロッコ ――アラビアン・ナイトの世界――」

日野 草城   (校正受付

日野 草城(ひの そうじょう、1901年(明治34年)7月18日 - 1956年(昭和31年)1月29日)は東京都出身の俳人。本名は克修(よしのぶ)。「ホトトギス」で学んだ後、「旗艦」を創刊、女性のエロスを主題とした句や無季俳句を作り、昭和初期の新興俳句運動を主導。戦後は「青玄」を創刊・主宰し一転して静謐な句を作った。 (ウィキペディア)
「旦暮」

平井 肇   (校正受付

平井 肇(ひらい はじめ、1896年5月17日 - 1946年7月7日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。岐阜県出身。 (ウィキペディア)
「ディカーニカ近郷夜話 前篇 01 解題」

平野 万里   (校正受付

平野 万里(ひらの ばんり、1885年5月25日 - 1947年2月10日)は、歌人、詩人である。本名は平野久保(ひさやす)。 (ウィキペディア)
「五足の靴 五人づれ」

平野 零児   (校正受付

平野 零児(ひらの れいじ 1897年(明治30年)2月6日- 1961年(昭和36年)8月26日)は兵庫県出身の日本の作家、戦前、戦後に活躍した。 (ウィキペディア)
「秋場所から」
「一等車」
「寡作流行作家」
「カマボコと文化市長」
「空瓶スタンドの主」
「芸術は短く貧乏は長し」
「地震がおそろしい」
「洗脳後の三年」
「丹波篠山」
「中共虜囚記」
「伝説と歴史」
「天民が聞える」
「銅駝餘霞楼記」
「南船北馬」
「人間改造 ――私は中国の戦犯であった――」
「ハエと人民公社」
「ハマッ子文豪と友情」
「百まで踊る下中翁」
「満州の陰謀者 河本大作の運命的な足あと」
「無情な今年の二月 村松梢風氏と下中弥三郎氏をいたむ」
「めぐりあい」
「友情に泳ぐ」
「雪解けにすべった丁玲女史」
「吉川さんの声と眼」

平林 初之輔   (校正受付

平林 初之輔(ひらばやし はつのすけ、1892年11月8日 - 1931年6月15日)は、日本の作家・推理作家・文芸評論家。プロレタリア文学運動の理論家として知られる。 (ウィキペディア)
「五階の窓 02 合作の二」

平山 蘆江   (校正受付

平山 蘆江(ひらやま ろこう、1882年11月15日 - 1953年4月18日)は日本の新聞記者、作家。 (ウィキペディア)
「蘆江怪談集」

フィルモア ロバート   (校正受付

「「ヒリモア」万国公法の内宗教を論ずる章」

福井 久蔵   (校正受付

福井 久蔵(ふくい きゅうぞう、1867年12月13日(慶応3年11月18日) - 1951年(昭和26年)10月23日)は、日本の国語学者・国文学者。 (ウィキペディア)
「枕詞と序詞」

福沢 諭吉   (校正受付

福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。 (ウィキペディア)
「圧制も亦愉快なる哉」
「圧制も亦愉快なる哉」
「内は忍ぶ可し外は忍ぶ可らず」
「御時務の儀に付申上候書付」
「外国人の内地雑居許す可らざるの論」
「外国人の内地雑居許す可らざるの論」
「改暦弁」
「学問のすゝめ」
「学問のすゝめ」
「学問のすゝめの評」
「かたわ娘」
「かたわ娘」
「気品の泉源、智徳の模範」
「気品の泉源、智徳の模範」
「京都学校の記」
「訓蒙 窮理図解」
「故社員の一言今尚精神」
「故社員の一言今尚精神」
「西郷隆盛の処分に関する建白書」
「私金義捐に就て」
「写本「西洋事情」」
「修業立志編」
「修身要領」
「種痘発明」
「条約十一国記」
「女子教育の事に付某氏に答」
「人生の楽事」
「心養」
「西航記」
「西航記」
「政事と教育と分離す可し」
「征台和議の演説 明治七年十一月十六日」
「征台和議の演説 明治七年十一月十六日」
「政府と人民」
「千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州独立ノ檄文」
「千七百七十六年第七月四日、亜米利加十三州独立の檄文」
「千七百七十六年第七月四日、亜米利加十三州独立の檄文」
「忠孝論」
「長州再征に関する建白書」
「長州再征に関する建白書」
「通俗外交論」
「帝室論 02 帝室論」
「唐人往来」
「読倫理教科書」
「内地旅行西先生の説を駁す」
「内地旅行西先生の説を駁す」
「中津留別の書」
「中津留別の書」
「男女交際論」
「男女同数論」
「男女同数論」
「日本地図草紙」
「日本婦人論 後編」
「ひゞのをしへ」
「福翁百余話」
「福沢氏古銭配分の記」
「福沢氏古銭配分の記」
「福沢全集緒言」
「福沢全集緒言」
「福澤全集緒言」
「福沢諭吉子女之伝」
「福沢諭吉子女之伝」
「福沢諭吉子女之伝」
「婦人肥満之説」
「文明教育論」
「文明論之概略」
「文明論プラン」
「文明論プラン」
「万延元年アメリカハワイ見聞報告書」
「萬延元年アメリカハワイ見聞報告書」
「明六雑誌の出版を止るの議案」
「明六雑誌の出版を止るの議案」
「蘭学事始 01 蘭学事始再版之序」
「蘭学事始再版之序」
「蘭学事始再版之序」

福島 安正   (校正受付

福島 安正(ふくしま やすまさ、嘉永5年9月15日(1852年10月27日) - 大正8年(1919年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。萩野末吉に続く情報将校。 (ウィキペディア)
「単騎遠征」

藤沢 清造   (校正受付

藤澤 清造(ふじさわ せいぞう、1889年(明治22年)10月28日 - 1932年(昭和7年)1月29日)は、日本の男性小説家、劇作家、演劇評論家。 (ウィキペディア)
「根津権現裏」

二葉亭 四迷   (校正受付

二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、1864年4月4日(元治元年2月28日) - 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。本名、長谷川 辰之助(はせがわ たつのすけ)。筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である(『予が半生の懺悔』)。長谷川 二葉亭(はせがわ ふたばてい)とも呼ばれる。別の号に冷々亭主人、杏雨。江戸市ヶ谷生れ。彼の自筆履歴書によると、1883年2月1日から1885年12月25日まで、当時の専修学校(現在の専修大学)で学び、卒業した。また、東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科入学後、同科が改組されてできた東京商業学校(現一橋大学)第三部露語科を1886年1月に中退。 (ウィキペディア)
「未亡人と人道問題」
「椋のミハイロ」
「露都雑記」

船越 衛   (校正受付

船越 衛(ふなこし まもる、天保11年6月15日(1840年7月13日) - 大正2年(1913年)12月23日)は、広島藩出身の明治期の官僚・貴族院議員。男爵。父は広島藩の財務官僚として名高かった船越昌隆(八百十郎)。幼名は洋之助。号は松窓(松操、しょうそう)。子に船越光之丞、弟に加藤隆義がいる。 (ウィキペディア)
「明治維新の際における朝鮮論」

フリーマン リチャード オースティン   (校正受付

「アネズリーの受難」
「アルミニュームの短剣」
「暗号錠」
「「歌う白骨」序文」
「空騒ぎ」
「前科者」
「謎の犯人」
「パンドーラの箱」
「ポンティング氏のアリバイ」

古川 賢一郎   (校正受付

「砂に咲く花 女子少年院「丸亀少女の家」にて」

古川 緑波   (校正受付

古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ 、古川 緑波とも、1903年(明治36年)8月13日 - 1961年(昭和36年) 1月16日)は、1930年代の日本の代表的コメディアン。編集者、エッセイストとしても活動した。 (ウィキペディア)
「古川ロッパ昭和日記 07 昭和十六年」
「古川ロッパ昭和日記 08 昭和十七年」
「古川ロッパ昭和日記 09 昭和十八年」
「古川ロッパ昭和日記 10 昭和十九年」
「古川ロッパ昭和日記 11 昭和二十年」
「古川ロッパ昭和日記 12 昭和二十一年」
「古川ロッパ昭和日記 13 昭和二十二年」
「古川ロッパ昭和日記 14 昭和二十三年」
「古川ロッパ昭和日記 15 昭和二十四年」
「古川ロッパ昭和日記 16 昭和二十五年」
「古川ロッパ昭和日記 17 昭和二十六年」
「古川ロッパ昭和日記 18 昭和二十七年」
「古川ロッパ昭和日記 19 昭和二十八年」
「古川ロッパ昭和日記 20 昭和二十九年」
「古川ロッパ昭和日記 21 昭和三十年」
「古川ロッパ昭和日記 22 昭和三十一年」
「古川ロッパ昭和日記 23 昭和三十二年」
「古川ロッパ昭和日記 24 昭和三十三年」
「古川ロッパ昭和日記 25 昭和三十四年」
「古川ロッパ昭和日記 26 昭和三十五年」

プルス ボレスワフ   (校正受付

「椋のミハイロ」

ポー エドガー・アラン   (校正受付

エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)は、アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。マサチューセッツ州ボストンに生まれる。ポーの両親は旅役者であった。両親は彼が生まれた後にイングランドから移住してきた。両親を若くに失って商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。学業成績は極めて優秀であった。すぐに詩人として認められるが、賭博師、大酒飲みの悪名を高めた。アランと賭博の借金が原因で仲たがいになり退学。家を出て陸軍に入隊。いったん除隊してJohn Allanとのよりを戻し士官学校に入学。しかし、その学校は自分に合っていないと知り、規則違反を犯し、退学処分。文筆で身をたてるべく詩や短編小説を創作。ゴシック風の恐怖小説「アッシャー家の崩壊」「黒猫」、初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」、暗号小説の草分け「黄金虫」など多数の短編作品を発表、また1845年の詩「大鴉」でも評判を取った。1833年、当時まだ13歳だった従妹ヴァージニア・クレムと結婚するが、1847年に貧苦の中で結核によって彼女を失い、その2年後にポー自身も謎めいた死を遂げた。 (ウィキペディア)
「影 ――寓話」
「群集の人」
「鐘塔の悪魔」
「沈黙」
「罎の中から出た手記」
「ペスト王 寓意を含める物語」

ホーマー    (校正受付

ホーマー (ウィキペディア)
「オヂュッセーア」

ボーマルシェ ピエール=オーギュスタン・カロン・ド   (校正受付

「フィガロの結婚 ――狂おしき一日――」

穂積 重遠   (校正受付

穂積 重遠(ほづみ しげとお、1883年4月11日 - 1951年7月29日)は、東京府出身の法学者。専門は民法。東京帝国大学教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれる。東宮大夫兼東宮侍従長。男爵。勲一等旭日大綬章。 (ウィキペディア)
「結婚読本」

堀 辰雄   (校正受付

堀 辰雄(ほり たつお、1904年(明治37年)12月28日 - 1953年(昭和28年)5月28日)は、日本の小説家。 (ウィキペディア)
「十月」
「巣立ち」
「生者と死者」
「七つの手紙」
「二三の追憶」
「ふるさとびと」
「牧歌」
「四葉の苜蓿」

前田 普羅   (校正受付

前田 普羅(まえだ ふら、1884年(明治17年)4月18日 - 1954年(昭和29年)8月8日)は、俳人。高浜虚子に師事。「辛夷」主宰。本名は忠吉(ちゅうきち)。別号に清浄観子。 (ウィキペディア)
「普羅句集」

牧 逸馬   (校正受付

長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本の小説家、翻訳家。林不忘(はやし ふぼう)、牧逸馬(まき いつま)、谷譲次(たに じょうじ)の3つのペンネームを使い分けて活躍した。林不忘は時代小説「丹下左膳」シリーズ、牧逸馬は犯罪実録小説、家庭小説、翻訳、谷譲次は米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる。 (ウィキペディア)
「ウンベルト夫人の財産」
「S・Sベルゲンランド」
「斧を持った夫人の像」
「海妖」
「カラブウ内親王殿下」
「消えた花婿」
「給仕と百万弗」
「七時〇三分」
「神変美容術師」
「世界怪奇実話・序文」
「戦争とは何だ」
「地上の星座」
「血の三角形」
「都会の類人猿」
「肉屋に化けた人鬼」
「果して彼女は」
「街を陰る死翼」
「モンルアルの狼」
「八つ切られ三助」

牧野 信一   (校正受付

牧野 信一(まきの しんいち、1896年(明治29年)11月12日 - 1936年(昭和11年)3月24日)は、日本の小説家。神奈川県足柄下郡小田原町(現:小田原市)出身。自然主義的な私小説の傍流としてみなされることが多く、17年間の作家生活の中で珠玉の短編十数編を残して早逝したマイナー・ポエトといわれている。「ギリシャ牧野」とも呼ばれた中期の幻想的な作品で新境地を拓いたが、最後は小田原の生家で悲劇的な縊死自殺を遂げた。享年39歳。 (ウィキペディア)
「早春風景」
「レントゲン映画」

槙村 浩   (校正受付

槇村 浩(まきむら こう、1912年6月1日 - 1938年9月3日)、は、日本のプロレタリア詩人。本名:吉田 豊道(よしだ とよみち) (ウィキペディア)
「人文主義宣言」
「入所時感想録」
「盲したる民族の憎しみ」

正岡 容   (校正受付

正岡 容(まさおか いるる、1904年(明治37年)12月20日 - 1958年(昭和33年)12月7日)は、作家、落語・寄席研究家。歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎の座付作者ともいわれた。前名は平井 蓉(ひらい いるる)。 (ウィキペディア)
「浪花節更紗」

正岡 子規   (校正受付

正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 (ウィキペディア)
「あきまろに答ふ」
「人々に答ふ」

正宗 白鳥   (校正受付

正宗 白鳥(まさむね はくちょう、1879年(明治12年)3月3日 - 1962年(昭和37年)10月28日)は、明治 から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家、文学評論家。本名は正宗 忠夫(まさむね ただお)。 (ウィキペディア)
「入江のほとり」
「冬の法隆寺詣で」

増田 惟茂   (校正受付

増田 惟茂(ますだ これしげ、1883年12月29日 - 1933年8月6日)は、日本の心理学者。 (ウィキペディア)
「個人、社会及び発達の関係についての二三の問題」
「国家に対する心理学の役目につきて」
「知的作用と感情と」

松崎 鶴雄   (校正受付

「憶江南」

松谷 正太郎   (校正受付

「室内園芸万年青大鑑」

松村 みね子   (校正受付

片山 広子(片山 廣子、かたやま ひろこ、1878年(明治11年)2月10日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の歌人、随筆家、アイルランド文学翻訳家(松村みね子名義)。 (ウィキペディア)
「カスリイン・ニ・フウリハン(一幕)」
「心のゆくところ(一幕)」
「鷹の井戸(一幕)」

真山 青果   (校正受付

真山 青果(まやま せいか、旧字体:眞山 靑果、1878年(明治11年)9月1日 - 1948年(昭和23年)3月25日)は、日本の劇作家・小説家。本名は、真山 彬(まやま あきら)。 (ウィキペディア)
「江戸城総攻」
「茗荷畑」

マラテスタ エンリコ   (校正受付

「サンジカリズム論」
「戦術の諸問題」
「手紙 マラテスタの最近の消息」
「ピエール・クロポトキン 一老友の思い出と批判」
「無政府主義への道」
「労働運動における無政府主義者」

マルクス カール・ハインリッヒ   (校正受付

「共産党宣言」

丸山 英観   (校正受付

「愛ちやんの夢物語」

マン パウル・トーマス   (校正受付

「ブッデンブロオク家の人々」

三浦 新七   (校正受付

三浦 新七(みうら しんしち、1877年(明治10年)8月12日 - 1947年(昭和22年)8月14日)は、日本の経済学者、実業家。専門は経済史。1942年(昭和17年)帝国学士院会員。 (ウィキペディア)
「序言」

三浦 周行   (校正受付

三浦 周行(みうら ひろゆき、1871年7月21日(明治4年6月4日) - 1931年(昭和6年)9月6日)は、日本の歴史学者・法制史の研究者。文学博士。京都帝国大学教授。第10回帝国学士院恩賜賞の受賞者。文格院殿嵩山周行居士。 (ウィキペディア)
「弘法大師」

三木 清   (校正受付

三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。 (ウィキペディア)
「哲学ノート」

水内 鬼灯   (校正受付

「龍安寺泉石」

三谷 隆正   (校正受付

三谷 隆正(みたに たかまさ 1889年2月6日 - 1944年2月17日)は、日本の法学者。 (ウィキペディア)
「幸福論」

箕作 秋坪   (校正受付

箕作 秋坪(みつくり しゅうへい、文政8年12月8日(1826年1月15日)- 明治19年(1886年)12月3日)は江戸時代末期から明治時代にかけての日本の蘭学者、教育者。名は矩、通称は文蔵。号は宜信斎。 (ウィキペディア)
「教育談」

水上 滝太郎   (校正受付

水上 瀧太郎(みなかみ たきたろう、本名・阿部章蔵、1887年12月6日 - 1940年3月23日)は日本の小説家、評論家、劇作家。 (ウィキペディア)
「遺産」
「大人の眼と子供の眼」
「貝殻追放 056 人真似」
「果樹」
「銀座復興」
「九月一日」

三宅 茂   (校正受付

「現代フランス思想」

三宅 周太郎   (校正受付

三宅 周太郎(みやけ しゅうたろう、1892年(明治25年)7月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、演劇評論家。媚びぬ劇評に徹し、また、文楽の興隆に尽くした。 (ウィキペディア)
「続文楽の研究」
「文楽の研究」

宮沢 賢治   (校正受付

宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年8月27日 - 1933年9月21日)は、日本の詩人、童話作家。 (ウィキペディア)
「銀河鉄道の夜 初期形第三次稿」

宮島 新三郎   (校正受付

宮島 新三郎(みやじま しんざぶろう、1892年1月28日 - 1934年2月27日)は、日本の文芸評論家、英文学者。 (ウィキペディア)
「ダアバァヴィル家のテス 解説」
「ダアバァヴィル家のテス 序」

宮島 資夫   (校正受付

宮嶋 資夫(みやじま すけお、1886年8月1日-1951年2月19日)は、小説家、僧侶。初期プロレタリア文学としての大正労働文学の担い手であった。 (ウィキペディア)
「坑夫」

宮原 晃一郎   (校正受付

宮原 晃一郎(みやはら こういちろう、1882年9月2日 - 1945年6月10日)は、日本の児童文学者、英文学・北欧文学者。 (ウィキペディア)
「飢え」

宮本 百合子   (校正受付

宮本 百合子(みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)は昭和期の小説家、評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。日本女子大学英文科中退。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダー、左翼運動家として活動した。日本共産党元委員長宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返した。 (ウィキペディア)
「書簡・書簡補遺」
「日記 24 一九四〇年(昭和十五年)」
「日記 25 一九四一年(昭和十六年)」
「日記 26 一九四三年(昭和十八年)」
「日記 27 一九四四年(昭和十九年)」
「日記 28 一九四五年(昭和二十年)」
「日記 29 一九四六年(昭和二十一年)」
「日記 30 一九四七年(昭和二十二年)」
「日記 31 一九四八年(昭和二十三年)」
「日記 32 一九四九年(昭和二十四年)」
「日記 33 一九五〇年(昭和二十五年)」
「日記 34 一九五一年(昭和二十六年)」
「婦人と文学(初出稿)」
「湯浅芳子宛書簡」

三好 達治   (校正受付

三好 達治(みよし たつじ、1900年(明治33年)8月23日 - 1964年(昭和39年)4月5日)は大阪府大阪市出身の詩人、翻訳家、文芸評論家。日蓮宗本山本満寺貫首を務めた三好龍紳は実弟。 (ウィキペディア)
「一点鐘」
「一点鐘拾遺」
「艸千里」
「艸千里拾遺」
「詩を読む人のために」
「短歌集日まはり」
「萩原朔太郎」
「日まはり拾遺」

ミルトン ジョン   (校正受付

ジョン・ミルトン(John Milton, 1608年12月9日 - 1674年11月8日から11月10日の間)は、イギリスの詩人。共和派の運動家であり、オリヴァー・クロムウェルを支持した。 (ウィキペディア)
「失楽園物語」
「失楽園物語」

村岡 典嗣   (校正受付

村岡 典嗣(むらおか つねつぐ、1884年(明治17年)9月18日 - 1946年(昭和21年)4月13日)は、日本の歴史学者。 (ウィキペディア)
「うひ山ふみ」

村岡 花子   (校正受付

村岡 花子(むらおか はなこ、1893年〈明治26年〉6月21日 - 1968年〈昭和43年〉10月25日)は、日本の翻訳家・児童文学者。児童文学の翻訳で知られ、モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、オルコットなどの翻訳を手がけた。基督教文筆家協会(現日本クリスチャン・ペンクラブ)初代会長(在任、1952年〈昭和27年〉6月 - 1958年〈昭和33年〉10月)。 (ウィキペディア)
「クリスマス・カロル 01 クリスマス・カロル」
「クリスマス・カロル 02 解説」
「小松物語」
「鈴蘭の花」
「動物の相談会」
「ナミダさん」
「花の時」
「羽根の折れた小鳥」
「春子の夢」
「不思議なお面」
「ポストへ落ちた蝶々」
「ミドリの人形」
「みんなよい日」
「めぐみの雨が降るまで」
「森の白うさぎ」

村岡 博   (校正受付

「東邦の理想」

村上 鬼城   (校正受付

村上 鬼城(むらかみ きじょう、1865年6月10日(慶応元年5月17日) - 1938年(昭和13年)9月17日)は日本の俳人、司法代書人。本名は村上 荘太郎(むらかみ しょうたろう)。 (ウィキペディア)
「鬼城句集」

村上 浪六   (校正受付

村上 浪六(むらかみ なみろく、1865年12月18日(慶応元年11月1日) - 1944年(昭和19年)12月1日)は、日本の小説家。 (ウィキペディア)
「一軒屋」

村川 堅固   (校正受付

村川 堅固(むらかわ けんご、1875年1月28日 - 1946年1月21日)は、日本の西洋史学者。 (ウィキペディア)
「米国の極東政策と日米関係」

室生 犀星   (校正受付

室生 犀星(むろう さいせい、本名: 室生 照道(てるみち)、1889年(明治22年)8月1日 - 1962年(昭和37年)3月26日)は、石川県金沢市生まれの詩人・小説家。別号に「魚眠洞」。 (ウィキペディア)
「命」
「かげろふの日記遺文」
「餓人伝」
「鞄(ボストン・バック)」
「神のない子」
「汽車で逢つた女」
「京洛日記」
「寂しき魚」
「聖ぷりずみすとに与ふ」
「聖ぷりずみすとに与う」
「蝶紋白」
「星より来れる者」
「帆の世界」
「めたん子伝」
「われはうたえども やぶれかぶれ」

メイスン アルフレッド・エドワード・ウッドリー   (校正受付

「青春の氷河」
「矢の家」

毛利 基   (校正受付

毛利 基(もうり もとい、1891年2月11日 - 1961年12月17日)は、日本の内務官僚。特別高等警察で活動、佐賀県・埼玉県などの警察部長を歴任した。 (ウィキペディア)
「旧特高警察の第一線 ――共産党検挙の苦心――」

本居 宣長   (校正受付

本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされる。末裔には日本の映画監督・脚本家の小津安二郎がいる。 (ウィキペディア)
「うひ山ふみ」

元良 勇次郎   (校正受付

元良 勇次郎(もとら ゆうじろう、安政5年11月1日(1858年12月5日) - 大正元年(1912年)12月13日)は、日本最初の心理学者である。旧姓は杉田、1881年に元良家の養子となる。 (ウィキペディア)
「快楽は倫理の標準と為り得べきや否や」
「神田左京「人性の研究」序」
「ヘゲルの存在論に就て」

森 鴎外   (校正受付

森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 (ウィキペディア)
「舞姫」
「みれん」

森 繁夫   (校正受付

「人物百談 九二 幕末志士の歌」

森 林太郎   (校正受付

森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 (ウィキペディア)
「伊藤左千夫年譜稿」
「能久親王事蹟」

森下 雨村   (校正受付

森下 雨村(もりした うそん、1890年(明治23年)2月23日 - 1965年(昭和40年)5月16日)は、編集者、翻訳家、小説家。高知県佐川町出身。本名・岩太郎。別名・佐川春風。早稲田大学英文科卒、博文館に勤め、1920年(大正9年)に探偵小説雑誌『新青年』編集長となり、内外の探偵小説の紹介に努め、自らも創作をおこなった。 (ウィキペディア)
「五階の窓 03 合作の三」

森本 六爾   (校正受付

森本 六爾(もりもと ろくじ、1903年3月2日 - 1936年1月22日)は、日本の考古学者。 (ウィキペディア)
「日本農耕文化の起原 ―考古学上より見たる日本原始農業の研究」

矢崎 源九郎   (校正受付

矢崎 源九郎(やざき げんくろう、1921年3月26日 - 1967年2月23日)は、日本の言語学者、北欧文学者、翻訳家。 (ウィキペディア)
「すずの兵隊さん」
「空とぶトランク」
「ナイチンゲール」
「「ニールスのふしぎな旅 下」まえがき」
「「ニールスのふしぎな旅 上」まえがき」
「ニールスのふしぎな旅」
「みにくいアヒルの子」

箭内 亙   (校正受付

箭内 亙(やない わたり、1875年(明治8年)7月17日 - 1926年(大正15年)2月10日)は、東洋史学者、東京帝国大学教授。号は尚軒。 (ウィキペディア)
「史記列伝 01 伯夷列伝」
「史記列伝 01 伯夷列伝」
「史記列伝 02 管晏列伝」
「史記列伝 02 管晏列伝」
「史記列伝 03 老子韓非列伝」
「史記列伝 03 老子韓非列伝」
「史記列伝 04 司馬穰苴列伝」
「史記列伝 04 司馬穰苴列伝」

柳 宗悦   (校正受付

柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日)は、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。名前はしばしばそうえつと有職読みされ、欧文においてもSoetsuと表記される。 (ウィキペディア)
「雲石紀行」
「沖縄の思い出」
「思い出す職人」
「小鹿田窯への懸念」
「樺細工の道」
「北九州の窯」
「現在の日本民窯」
「全羅紀行」
「台湾の民藝について」
「多々良の雑器」
「苗代川の黒物」
「日田の皿山」
「北支の民藝」
「益子の絵土瓶」
「蓑のこと」
「野州の石屋根」
「陸中雑記」

柳田 国男   (校正受付

柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田勇人首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた。帝国憲法下の農務官僚で貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官に就いた。 (ウィキペディア)
「アテヌキという地名」
「アテヌキといふ地名」
「海女部史のエチュウド」
「海女部史のエチュウド」
「家の話」
「伊豆大島の話」
「「黒」を憶う」
「「黒」を憶ふ」
「祭礼名彙と其分類」
「児童語彙解説」
「食料名彙」
「食料名彙」
「人狸同盟将に成らんとす」
「青年と学問 大正十四年 講演」
「瀬戸内海の海人」
「瀬戸内海の島々」
「大唐田または唐干田という地名」
「大唐田又は唐干田と云ふ地名」
「狸とデモノロジー」
「狸とデモノロジー」
「狸とムジナ」
「狸とムジナ」
「遠野物語」
「服装語彙分類案」
「水海道古称」
「水海道古称」
「名字の話」
「名字の話」
「和州地名談」
「和州地名談」

矢部 貞治   (校正受付

矢部 貞治(やべ ていじ、明治35年(1902年)11月9日 - 昭和42年(1967年)5月7日)は、日本の政治学者、評論家。東京帝国大学法学部教授、拓殖大学総長などを歴任した。従三位勲一等。政治学博士。旧姓横山。 (ウィキペディア)
「政治学入門」

山県 有朋   (校正受付

山縣 有朋(やまがた ありとも、天保9年閏4月22日(1838年6月14日) - 大正11年(1922年)2月1日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵。内務大臣(初・第2・第3代)、内閣総理大臣(第3・9代)、元老、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長(第5代)などを歴任した。 (ウィキペディア)
「南洲手抄言志録 00 題字」

山川 健次郎   (校正受付

山川 健次郎(やまかわ けんじろう、1854年9月9日(安政元年閏7月17日) - 1931年(昭和6年)6月26日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。 (ウィキペディア)
「マルクス主義は科学にあらず」

山川 方夫   (校正受付

山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳、1930年2月25日 - 1965年2月20日)は日本の作家。 (ウィキペディア)
「海岸公園」
「クリスマスの贈物」
「最初の秋」
「箱の中のあなた」

山田 耕筰   (校正受付

山田 耕筰(やまだ こうさく、Kósçak Yamada、1886年(明治19年)6月9日 - 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。 (ウィキペディア)
「生れ月の神秘」

山田 松太郎   (校正受付

「勝利者と敗北者」

山中 貞雄   (校正受付

山中 貞雄(やまなか さだお、1909年(明治42年)11月8日 - 1938年(昭和13年)9月17日)は、日本の映画監督、脚本家である。京都府生まれ。 (ウィキペディア)
「戦国群盗伝」

山中 春雄   (校正受付

「ぺにろいやるのおにたいじ」

山本 一清   (校正受付

山本 一清(やまもと いっせい、1889年(明治22年)5月27日 - 1959年(昭和34年)1月16日)は、滋賀県出身の日本の天文学者。滋賀県出身者として最初の天文学者・理学博士(博士登録番号227番、天文学専攻としては国内8人目の理学博士)。 (ウィキペディア)
「星と空の話」

山本 周五郎   (校正受付

山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、1903年(明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、日本の小説家。本名、清水 三十六(しみず さとむ)。 (ウィキペディア)
「薊」
「あだこ」
「雨あがる」
「嘘アつかねえ」
「追いついた夢」
「落葉の隣り」
「思い違い物語」
「古今集巻之五」
「失蝶記」
「末っ子」
「その木戸を通って」
「ちいさこべ」
「竹柏記」
「ちゃん」
「つばくろ」
「七日七夜」
「橋の下」
「はたし状」
「花も刀も」
「半之助祝言」
「ひとでなし」
「百足ちがい」
「屏風はたたまれた」
「風流太平記」
「むかしも今も」
「柳橋物語」
「やぶからし」
「山彦乙女」
「夕靄の中」
「ゆうれい貸屋」
「雪の上の霜」
「若き日の摂津守」

山本 笑月   (校正受付

「明治世相百話」

山本 宣治   (校正受付

山本 宣治(やまもと せんじ、1889年(明治22年)5月28日 - 1929年(昭和4年)3月5日)は、日本の戦前の政治家、生物学者。京都府出身。 (ウィキペディア)
「学生運動取締りに関する質問」
「猿の演説」

山本 禾太郎   (校正受付

山本 禾太郎(やまもと のぎたろう、1889年2月28日 - 1951年3月16日)は、日本の推理作家。本名、山本 種太郎(やまもと たねたろう)。 (ウィキペディア)
「探偵小説と犯罪事実小説」

山本 政喜   (校正受付

山本 政喜(やまもと まさき、1899年4月20日 - 1960年4月7日)は、英文学者。筆名・柾 不二夫(まさき ふじお)。息子に川端香男里、娘に若桑みどりがいる。1924年東京帝国大学文学部英文科卒。プロレタリア作家として活動し、戦後、明治大学経営学部教授を務め在任中に死去した。(小谷野敦『日本の有名一族』幻冬舎新書) (ウィキペディア)
「荒野の呼び声 01 荒野の呼び声」
「荒野の呼び声 02 解説」
「白い牙 01 白い牙」
「白い牙 02 あとがき」

横川 顕正   (校正受付

「禅堂生活」

与謝 蕪村   (校正受付

与謝 蕪村(よさ ぶそん、享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数ある。 (ウィキペディア)
「02 蕪村俳句集」
「03 附録 寛保四年蕪村歳旦帖」

与謝野 寛   (校正受付

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 (ウィキペディア)
「五足の靴 五人づれ」

吉井 勇   (校正受付

吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正期・昭和期の歌人、脚本家である。爵位は伯爵。 (ウィキペディア)
「五足の靴 五人づれ」
「玉島円通寺」

吉田 甲子太郎   (校正受付

吉田 甲子太郎(よしだ きねたろう、1894年3月23日 - 1957年1月8日)は、日本の翻訳家、英文学者、児童文学者。群馬県生まれ。早稲田大学英文科卒。在学中より山本有三に師事、朝日壮吉などの筆名を用い、中学教師のかたわら、『新青年』などに探偵小説を翻訳するが、1927年ころから児童文学に移行し、少年小説を書く。1932年、新設された明治大学文藝科で、科長となった山本の推薦で教授となる。戦後は児童雑誌『銀河』に携わる。弁護士で明治大学理事長の吉田三市郎は兄。 (ウィキペディア)
「職業を選ぼうとする人への手紙」
「空に浮かぶ騎士」
「空に浮かぶ騎士」
「ぺにろいやるのおにたいじ」
「星野君の二塁打」
「リップ・ヴァン・ウィンクル ディードリッヒ・ニッカボッカーの遺稿」

吉田 絃二郎   (校正受付

吉田 絃二郎(よしだ げんじろう、1886年11月24日 - 1956年4月21日)は、日本の小説家、随筆家。佐賀県神埼郡西郷村(現在の神埼市)に生まれ、幼時に長崎県佐世保市に移る。本名は吉田源次郎。 (ウィキペディア)
「犬吠ヶ崎」

吉田 静致   (校正受付

吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月4日)は日本の倫理学者。 (ウィキペディア)
「人格的唯心論に就て」

米川 正夫   (校正受付

米川 正夫(よねかわ まさお、1891年11月25日 - 1965年12月29日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。 (ウィキペディア)
「クロイツェル・ソナタ 01 クロイツェル・ソナタ」
「クロイツェル・ソナタ 02 あとがき」
「罪と罰」

ラーゲルレーヴ セルマ   (校正受付

セルマ・ラーゲルレーヴ(スウェーデン語: Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf、スウェーデン語:  ( 音声ファイル)、1858年11月20日 - 1940年3月16日)は、スウェーデンの女性作家。 (ウィキペディア)
「ニールスのふしぎな旅」

蘭 郁二郎   (校正受付

蘭 郁二郎(らん いくじろう、1913年9月2日 - 1944年1月5日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家。本名は遠藤 敏夫。林田葩(はな)子というペンネームもある。 (ウィキペディア)
「珊瑚城」
「秘境の日輪旗」

ルヴェル モーリス   (校正受付

「誰?」

ルナール ジュール   (校正受付

ジュール・ルナール(Jules Renard, 1864年2月22日 - 1910年5月22日)は、フランスの小説家、詩人、劇作家。その小説『にんじん』は有名。簡素で日常的な言葉を使いつつも、鋭い観察力をから様々な優れた作品が生み出された。 (ウィキペディア)
「ぶどう畑のぶどう作り」

ロンドン ジャック   (校正受付

ジャック・ロンドン(英: Jack London、1876年1月12日 - 1916年11月22日)は、アメリカ合衆国の作家。出生名はジョン・グリフィス・チェイニー。 (ウィキペディア)
「荒野の呼び声 01 荒野の呼び声」
「白い牙 01 白い牙」

ワーズワース ウィリアム   (校正受付

ウィリアム・ワーズワース(Sir William Wordsworth, 1770年4月7日 - 1850年4月23日)は、イギリスの代表的なロマン派詩人である。湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書いた。同じくロマン派の詩人であるサミュエル・テイラー・コールリッジは親友で、最初の作品集はコールリッジとの共著であった。多くの英国ロマン主義詩人が夭折したのに対し、彼は長命で、1843年に73歳で桂冠詩人となった。 (ウィキペディア)
「ワァヅワス詩集」

若山 牧水   (校正受付

若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 (ウィキペディア)
「青年僧と叡山の老爺」

鷲尾 雨工   (校正受付

鷲尾 雨工(わしお うこう、本名:鷲尾 浩、1892年4月27日 - 1951年2月9日)は日本の小説家。 (ウィキペディア)
「明智光秀 老の坂わかれ路」
「黒田如水」
「塚原卜伝」

渡辺 温   (校正受付

渡辺 温(わたなべ おん、1902年(明治35年)8月26日 - 1930年(昭和5年)2月10日)は、日本の推理作家・幻想小説家。本名は温(ゆたか)。 (ウィキペディア)
「映画の恋」
「トーキーを見物して」

渡辺 水巴   (校正受付

渡辺 水巴(わたなべ すいは、1882年(明治15年)6月16日 - 1946年(昭和21年)8月13日)は東京出身の俳人。本名は渡辺義(よし)。 (ウィキペディア)
「白日」

ワタナベ オン   (校正受付

「映画の恋」

和辻 哲郎   (校正受付

和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。 (ウィキペディア)
「イタリア古寺巡礼」
「記憶の下積み」
「危険思想を排す」
「国民統合の象徴」
「神功皇后について」
「西の京の思ひ出」
「日本古来の伝統と明治維新後の歪曲について」
「日本社会の倫理」
「日本は何を誇るか」
「人間の学としての倫理学」
「風土 ――人間学的考察――」
「倫理学」